心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

親が次子の長男長女の苦悩

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親が次子同士だと、その子供の長子は、その家の長子の役割を任される

 

気がつくと、小さいうちから親や兄弟の面倒を見る役目を負わされる

   

これ、子供にとって物凄い葛藤がある

 

まだまだ甘えたいのに、親が甘えてくる

 

まだまだ子供なのに、親が頼ってくる

 

何をやるのも自分が引っ張っていかないといけない

 

計画も子供が立てなきゃいけないし、放っておくと何にも動かない

大っぴらに計画をたてる訳じゃなくても、自分で意思表示をしないと家族が動かないから、意思表示をしてあげる

 

「◯◯に行きたい」って自分が言えば、「いいね」っていいながら家族皆がついてくる

 

そりゃ、やりたいことが出来るじゃん!って思うかもしれないけれど、そんなに甘くない

 

子供が、親のやりたいことを想像して気持ちを汲んであげて自分の気持ちとして「◯◯に行きたい」と言うのだ

 

「ワガママね」と言われながら、自分の思いなんて何一つ言っていないのだ

 

小さい頃から親の親守りをしている

 

見た目は放置している訳じゃないし、子供の思いを実現している素敵な親に見えるけど、中身はネグレクトと変わらない

 

小さい頃はまだ相手はなにも出来ない子供なので親も少しは頑張るけれど、早いと小学校高学年位からずっと家の中の長子

 

なのに、自由度ゼロ

 

親に悪気はないけれど、もっと甘えたかったなってずっと思うんだと思います

 

葛藤を上手く消化出来ないと、親を恨むかもしれません

 

ちなみに、私の親は二人とも末っ子

 

気がつけば親は全て長女の私に聞いてくるような生活が小学校低学年から続いた

 

親は、いつか私が自分達の年齢を抜かして養ってもらえると思っていたらしい

 

この感覚がある時点で親ではないかも…

 

「お父さんの飛行機の時間に間に合うバスが分からないからあなた調べて!」と結婚して遠く離れた我が子に電話してくる母

 

「知るか!自分で調べるか、家にいる弟に聞いてよ!」って言いましたが、新婚そうそう夜中でも朝でも何か分からないとすぐに来る電話に、私に対する依存度を改めて気づかされたものです

 

今は離れたし、心の距離もとっているのでとても楽ですが、小さい頃から親と兄弟がおんぶにだっこで本当に苦しかった

 

親に理想の親像を求めてはいけないし、親は親じゃなくて一人の人間で他人だと今は思えますが、そう思うまでこんな文章を書き綴るほどの葛藤を持って生活していました

 

子供はある程度の年齢までは、その環境で生きるしか無いですが、大人になってもその事を引きずったり親との関係がいまいち上手くいかなかったり、自分の人生を歩めない場合には、自分の家庭での長子の役目を認めてあげて放棄してしまうのも手かもしれません

 

親は他人です

 

合わない親もいるし、嫌いな場合もあっていいと思うし、それでも親が親でなくなることがないのだから、いっそのこと肩書きが「親」ってだけだと思えばいいのかもと思います

 

子供のころ、甘えられなかった自分を誉めて上げて、親に誉めてもらいたかった分を認めてあげれば、上手く切り離して考えられるかもしれないです

 

人それぞれ色々な環境で生きていますが、上手くいかない原因をそっと解きほぐして、親との関係を良好に保てる方法を模索してみるのもいいかもしれません

 

私もあまりの子供っぽさに呆れて、親は親としてはいまいちだけど人としてはまあいいかなあと思ったら、人として遠くで接するなら何とかなり、楽になりました

 

結局、親として尊敬出来るとかはありませんが、親としての権力の発動をしなければ特に問題ないかなと思っています