心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

どんなふうに動いても人は迷惑をかけるのかも

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「迷惑を掛けない様にしなさい!」って、言われて育つけど、迷惑を掛けない生きていく事なんて多分出来ない

 

振り回されるだけが迷惑なんじゃなくて、影響を受けることも、挨拶するとこも、もしかしたら迷惑かもしれない

   

迷惑だからって嫌なわけじゃなくて、迷惑が楽しいかもしれない

 

相手を思って心配する事はとっても素敵な事だけど、大きなお世話かもしれないし、もしかしたら迷惑かもしれない

 

「迷惑」って相手の取り方次第かも

「迷惑」って存在があれば掛かる事なのかも

 

生きていれば迷惑が掛かるなら、自分のやりたい事を周りの人を巻き込んで楽しんでやりたいです

 

迷惑が楽しめる様に、動きたいです

 

迷惑を掛けることに萎縮するんじゃなくて、迷惑をかけることを感謝して動きたいです

 

何かをしないで我慢するんじゃなくて、何かをする事に感謝しながら迷惑をかけていけばいいのかもしれないです

 

では、これを今の社会に当てはめてみます

 

コロナを移さないように、萎縮して生きるのではなく、皆に移してしまうリスクも移ってしまうリスクもあるであろうが動く事に感謝して、生活していけばいいのかもしれません

 

他人に嫌な思いをさせてしまうからと思っている事を言わないでストレスを溜めて生活するのではなく、皆嫌な思いをする事はあるので、少しずつすり合わせながら皆と毎日が過ごせている事に感謝して動いていけばいいんだと思います

 

我慢したって、多分相手のためにも自分のためにもならないのです

 

萎縮したって、結局迷惑は掛けるのです

 

こんなにソーシャルディスタンスが叫ばれている中で、実は動いて調整する能力が一番問われているのかもしれません

 

距離が離れてしまっても、心を離してしまってはどうにもならないのです

 

距離が離れたら自立出来たような錯覚を起こしてしまいがちだけど、自立は周囲との距離を自分なりにとって、周りを巻き込みながら生きていくところにあるのかもしれません

 

周囲を巻き込んで、周囲に感謝して、自分のやりたい事を一生懸命やる事が、自立した生き方なのかもしれません

 

生まれた時から人は迷惑をかけながら、生きていくのかもしれません