心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

依存しないで生きていくって?

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アルコール依存症とか、覚醒剤やタバコの依存症とか、人に依存するとか、ギャンブル依存症とか、宗教や家族なんかもそうなんじゃないかな?依存症って言っても沢山ある

 

私も甘いものには依存しているかな〜なんて思う

   

あんまり周りに迷惑を掛けない物から、犯罪まで、依存症なんてよりどりみどり

 

いやー、やめろって言われてもやめられないものって多い

 

逆に依存症を持ってない人なんてほとんどいなそうじゃない?

 

じゃあ、依存しない生活って、いかに軽微な周囲に迷惑を掛けなそうな物に依存するか?って事なのかもしれない

 

極端なしかも相手がいるものへの依存だと、人間関係が上手くいない

 

ストーカーとかDVとか虐待とかパワハラとか、自己愛性人格障害者達が起こすものは全て人間に対する依存が極端な場合

 

法で罰せられちゃう物は軽微でも捕まっちゃうから問題外

 

宗教とか家族とかも、行き過ぎたら迷惑だし、まあ、とにかく、何かに異常な依存をすると周りも本人もイマイチ上手くは行かない

 

だから、やっぱりバランスなんだよね

 

「依存症は病気だ!悪だ!」っていうのは、ちょっぴりのバランスのいい依存も否定する

 

何でもそうだけど、正しい事だけが絶対的にいい訳じゃない

 

ちょっぴりの悪い事で上手く行く事も沢山あると思います

 

制限速度70キロの道路で周囲が80キロで走っている中60キロはまあまあ邪魔だもの

 

結局、制限速度は超えちゃってるけど、80キロは「悪」じゃない

60キロは正しいかもしれないけどまあまあ迷惑なんだ

 

正しい事をしていれば、迷惑じゃない訳じゃない

 

人だって、ちょっぴりの甘えが嬉しかったりする

 

ちょっぴり甘えられて依存されて、やる気が出る人だって大人になれる人だっている

 

甘えている人が自立していない訳じゃない

 

結局、色々な依存があるけれど、バランスを欠いた人が問題であって、バランスが取れる人は自立しているっていうのかもしれない

 

バランスを欠いた理由と向き合わないと、バランスを取ることはとっても難しいし、だからこそ、依存した物が問題なんじゃなくて、そこにしか依存出来なくなった環境や精神状態が問題なのかも

 

いっくら「俺は依存していない!」って本人が思って我慢しても、環境も精神状態も変わらなきゃ極端な依存から抜け出す事なんて出来ないのはそういう事なのかもね

 

余命を知ったところで、そりゃー変わらない訳だ

 

まっ、依存しないで生きることは出来ないと思うので、適度な依存で円滑な人間関係を築きましょう!って事じゃない

 

なんでも、そんなに責めない方がいいと思います