心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

私の考え方では何も変わらないけれど…

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色々な人が、色々と訴えかけたり、誰かを助けたり何かを変えようとしたりして奮闘するけれど、「そうだ!」って立ち上がることも誰かを助けようともあまり思えない

 

なんだろう?

   

誰かを助けると、「その人が可哀想だから助ける」ってなる

 

なんだろう?

 

誰かを助けると、誰かが助からない

 

誰かを助けると、何かが否定される

 

そんな事を言ったら動けないんだけど、だから私はあんまり動かないのかもしれない

 

もちろん、そんな自信が無いっていうのもある

 

大して力が無いのに、誰を助ける事なんて出来ないって思ってしまうしょぼい私もいる

 

でも、それだけじゃなくてなんか誰が悪いって言えない

 

イジメる子供が悪いけど、被害者を助けても、別の被害者が出る

 

被害者を助けてイジメる子の心を満たしても、イジメる子の親が変わらないと親も辛い

 

虐待した場合、親が悪いけど、親もしんどい

 

子供を助けなきゃいけないけど、離してしまうと親も辛くて、親にも子供が必要だったりする

 

その人の良い部分だけを見ながら生活する事が出来ればいいだけで、大きく変えなくても何とかなる方法ってあるんじゃないかなって思うと、「虐待はダメ!」なんて声高々にいう事なんて出来ないって思ってしまう

 

そして、だからこそ子供だけを助ける事も出来ない

 

結局何にもしていないんだけど、見てみぬふりをしている訳でもない

 

私の出来る範囲で出来ることをしているつもり

 

誰かを助けている人は凄いとは思うけど、称賛する訳でもなく、たまに不快感も感じたりしちゃいながら何となく見ている

 

結局、見てみぬふりをしている人と変わらないかもしれないけれど、私みたいにちょっとずつ動いている人もいるかもしれない

 

何にも出来ない言い訳をしてみたけど、動けない事にもそれぞれの理由がある

 

無理に動いてもきっと本意では無いことが沢山付いてくる

 

だったら、何かを信じて動けるようになるまで今のままでいようかなって思います