何かを人に相談する時に、相談する相手を全面的に信用できないと、関連する全ての事柄をさらけ出す事が出来ない
そう思うと、ちゃんと相談できる人がいるってとても凄い事だと思う
家族でも、先生でも、上司でも、同期でも、幼なじみでも、隣人でも迷っている事を迷っている最中に相談出来る人なんて、なかなかいない
だから、相談出来る人は大切にしなきゃいけないし、相談出来る位の信頼関係を作るのは結構技術のいる事なのかななんて思うし、相談出来るってお互いに宝物
人は結構、嘘をついて何かを隠して相談します
報告のみなんて事も多い
きっと、相談したら最良の結論を一緒に考えてくれそうな人にも、嘘をついてしまいます
嘘をついたり隠したりしてした相談や報告は結論ありきなので、他人の意見なんてはじめから求めてはいません
隠した情報が加味されないちんぷんかんぷんな意見が返ってきて当然
なのに、一部を隠した相談に人は自分にとって最良のアドバイスを期待します
自分の期待と返ってきた意見とのギャップに、落胆します
自分が得することだけを受け取って、他は無視するのです
それは、きっと相談相手に伝わります
お互いに相手への嫌悪感だけが残る事も多いです
その後は相手への悪口ばかりで、いくら丁寧に対応したとしても「あの人相談したのに何もしてくれなかったのよ〜」「ちょっと意地悪だったわ」とか言われちゃうのかも
誰も未来を見る事は出来ないのだから、人の意見を参考にして、ベストは自分の責任で選ぶべきだと思います
相談したとしても、その相談に乗ってくれた人に決断権はないし、責任もないのです
嘘をつかずに隠さずに相談してこそ、お互いの知恵を絞って最善の選択肢を並べる事が出来るし、決断の責任を誰もが自分に置く事で人は信頼関係を作って行くのかもしれないななんて感じます
そう考えると、日本政府は今新型コロナウイルスについて、本当に最善の選択肢を並べる事は出来るのでしょうか?
国民のとの信頼関係も築けず、専門家に責任を委ね、検証もリアルタイムでの報告もイマイチで、どこに真実があるのかもあやふやにしています
最良、最善どころか、最悪の事態じゃない?
まだ、選挙の人気取りに走った方が、一部の意見は取り入れられてマシなのかもしれません
結局、落胆が強すぎて、国民には嫌悪感しか残らないこの騒動
こんな時にカッコいいところを見せられる人になって欲しいかも
なんて、話はそれましたが相談出来るって、自立している証です
お互いが意見出来ることは、対等で自立しているからこそなのです
自立していなければ、意見は指示、支配でしかなく、そこには並列の立場は存在しないのです
国民はどうやら政治家に下に見られてて、下に見られる事について、嫌悪感を抱いているのかもしれません
なんて、思います