心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「助けて」って言わなきゃ助けられない

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助けたくても助けられない人って沢山います

 
自己愛性人格障害者のターゲットになっている人なんかはまさにそうです
 
周りがいくら助け出そうとしても、本人がその助けを拒むのです
   
優しく手を差し伸べても、その手を払います
 
手を差し出したにも関わらず、敵だと認識されて罵倒されちゃうときもあるくらいです
 
手を差し伸べてくれる人がいても、その手を振り払い「助けてくれる人なんて私にはいない」と言ったりもします
 
そういう人は疑心暗鬼になっていたり、自分は助けてもらう価値なんてないと卑下して、人の手を振り払いながら「私の事を分かってくれる人はいない」とか言います
 
 
白馬に乗った王子様が来てくれる奇跡を信じていて、現実の目の前の人を信じていないのです
 
??
なぜ、白馬に乗った王子様は信じるのに目の前にいる人が信じられないのか?
 
そもそも、白馬に乗った王子様がやってくる事はまずない
 
「白馬に乗った王子様が来ればいつでもスタンバイは出来ている」と言って、絶対に動きたくない自分を隠します
 
白馬に乗った王子様のせいにして、断固として現状維持が良いと言うのです
 
本当は助けてもらいたいと言いながら、助けなんていらないし、周囲を信用する事は出来ないと思っている
 
私には白馬に乗った王子様が似合っていて、普通の人間になんて助けて貰いたくはないと
思っています
 
周囲は無いものを求めてあるものをいらないと言い張るその人と話が通じないと思い、コミュニケーションを取る事を諦めてしまいます
 
要するに、助けを求めない人を人は助けることは出来ないと…
 
子供達でももちろんそうで、社会が無理やり助けることの難しさはそこにあるのかもしれません
 
ところで、「助けて欲しい」ってキチンと言う事はどういう事?
 
ぜーんぶ抱っこにおんぶの助けて欲しいを言うのは赤ちゃん位かも
 
少し大きくなったら、この人が助けてくれる人かそうでない人かを誰もが観察してから近づく
 
自分を助けてくれそうな人にキチンと「助けて」って言う事は、助けてくれそうな人を見極めて、その人を信用しているとその人に伝える事なのかもしれないな
 
だから、誰かに助けてって言われたら嬉しいし、助けただけで幸せな気持ちになるのかもしれないし、助けようと思っても助けられない人がいると、自分を信用してもらえない虚しさを感じるのかもしれない
 
道を聞かれるだけでも、人間はそんな思考で動いているのかも
 
で、本題!
 
結論は「助けて」って言わない人を助けることは出来ない
 
「助けて!」って本人が言わない限り、助けられない
 
手を差し伸べても手を放して行く人を寂しい目で眺めても、本人がその手を放せばもうどうする事も出来ない
 
手を繋いだ後、その人が何とか這い上がりたいと思ってくれないと、自立するまで手を繋ぐ事なんて出来ない
 
だから誰かに「助けて」って言えた人が居たら手を繋いであげることはもちろん大切だけど、「助けて」って言える自分とか子供とか目の前の人の勇気や信用に価値を置いて褒めたり認めたり出来ればなと思います
 
他人への信用は自分自身の信用で、自分を信用していない人に他人を信用する事は絶対に出来ないんです
 
他人に助けを求められる様な人間を育てるって難しいけど、私の周りがだんだんそうなって手を取り合えるといいのかもしれません
 
そういえば、我が子達は買い物に行くと、物がどこにあるかをすぐに店員さんに聞いてしまう
 
少しは自分で探せよ〜って思っていてけれど、これが大きくなっても変わらない
 
結構、人を信じているのかもしれないな
 
しめしめ…
 
 
ちなみにこの頭の中のお片付け、なぜ出てきたのかというと、実は自閉症の親子をずっと助けてた
 
助けていた訳じゃない
 
見守ってた
 
タイミングを見て声を掛けていた位
 
私以外にもう一人、その親子を私よりも関わりを持って助けていた人もいた
 
でも、その親がその差し伸べた手を今回放してしまった
 
子供だけを繋ぎ止める事も出来ず、そのまま離れて行く事を見守るしか無いのだろうが、私達はなんだか切ない気持ちだった
 
助けてって本人が言わなきゃ助けられないと痛感したかも
 
子供が自立するにはまだまだ時間が掛かる
 
いつかまたその子が誰かと手を繋ぎに来るといいななんて思うんです
 
私はたいした事は出来なかったけど、楽しかった思い出を胸に前に進んでくれるといいななんて思うのです
 
結局、助けてもらうことも自分次第だとしたら、助けがある人を羨ましいと思っている人は助けて貰える事は無いのかもしれないです
 
周りが動いているでは無く、自分が動かしている周りだと思えば、いい事も悪い事も全て自分次第だし、自分が変えられる事なのかも
 
助けて貰える事はもちろん感謝だけど、助けてあげられる事も実は感謝なのかもな