心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

他人の何を感じて疲れるのか?

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「人と会うと疲れる」とか「この人に会うと疲れる」とかあります

何が人を疲れさせるのか?

なんか霊でもついているのか?

なーんてちょっぴり思っていましたが、その原因が分かっちゃったかもしれないです


人間、表裏のある時にその表裏を感じることで気を使って疲れるのかもしれません

ニコニコ笑顔の裏で悪口を言っている人には、普段からその笑顔が本物ではないだろうと思いながら接します

2つの感情を同時に処理しながら、その人と接することになるのです

「ゆっくり待つよ〜」って言いながらイライラしている人を見たりすると、本当は待てないのに…と思いながら「ゆっくり待つ」という言葉のを受け取るのです

これは頭の中が相当疲れます

もちろん、イライラしているのを感じない位鈍感なら全然大丈夫でしょうが、繊細な人はいちいちいくつもの情報をその人から受け取る事になるのです

受けた情報が処理能力を超えてしまうと、パニックになったり思考停止したりするのかもしれません



学校が大人になった今でも行くとしんどい私ですが、今回私服で行くときより制服や礼服で行くときの方がそのしんどさを感じる事を発見

多様性があって色々なカラーがあるはずの人達を同じ色同じ形で揃えている事で、その多様性を細かい所で拾い集めないといけないという結果がしんどさの原因の一つになっているように感じます

いくつもの情報をその人から受け取り、一部を想像しないといけないなんてなれば、疲れも倍増しますから大変です



「こうでなくちゃいけない」「こうしなくちゃいけない」「こうあるべきだ」の裏には、必ず、「こうしたいのに」「こうだったらいいのに」があります


そして、「こうしたいのに」「こうだったらいいのに」をできてしまう人達を「こうあるべきだ」という人達が妬むのかもしれないです

自己愛性人格障害者は特に裏表ではなく、目の前の人によって考え方が変わってしまいます
いくつもの意見を自分の中にもち、中身を空っぽにして生きているので、外も中も想像する事ができません

近くにいるとただただ振り回されて疲れてしまうのかもしれないです


結局、どういう事かといえば、裏表の無い分かりやすく素直な人達を探して一緒にいればいいのかもしれないです

分かりやすいって、大切です
それだけで一緒に居て居心地がいいんですから


ちなみに、自分が分かりにくさを感じてしんどいと思うなら、とことん分析するって手も有りかもしれないです

とりあえず私は自己愛性人格障害者をとことん分析する事で、苦手感は薄れていっている気がします


自分のしんどさはどこから来ているのか?が分からないのは、身近な自分を想像しなきゃいけないです

もしかしたら他人が分かり辛いより疲れちゃうかも

なんて思います