心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

相槌って難しいのかも

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私自身色々な事があるけれど、私が一番不幸な訳無い

 

聞けば驚く様な話ばかりでも、誰かより不幸だなんて思わない

 

「大変だったんだね〜」とか言われちゃうと、なんかモヤモヤする

   

これ、何なんだろう?

 

「分かるよ〜」とか…嫌いな受け答えかも

 

他人の経験も思いも分からない

 

特に分かってもらいたいと思って話している訳でもない

 

過去の傷を舐めて貰いたい訳じゃなくて、寄り添って貰いたいのかも

 

辛い経験があっても、これからの未来を生きていくために前を向いている私がいる事に気が付いて欲しいと思っているのかな

 

立ち上がるところをただ眺めていて欲しいだけなのかも

 

評価して欲しいとかそんな事もなく、そんな生き方もあるんだって思って欲しいだけかも

 

皆はどうなんだろう?

 

過去の傷に共感して欲しいのかな?

 

別に話をしても構わないけれど、話さなくてもいいかなって思ってしまうのって前向き過ぎなのかな?

 

私は目の前にいる人の色々な経験を聞かなくても、生きている年数分の色々な経験があるだろうという前提で話をするけれど、そうじゃない人って沢山いる

 

経験した事の話を聞かなければ、その人の経験には触れられないかもしれないけれど、話をしていればその人の経験によって作られた言葉は聞ける

 

もちろん色々な話が聞ければ、その人への興味は湧くし、同じ様な経験をしていれば共感出来る事もあるけれど、基本共感ありきではない

 

「分かるよ〜大変だったね〜」より「そっか、私には分からないけど」って興味持ってくれる人が私は好きかもな

 

それを言われた瞬間に可愛そうな人になっちゃう気がして…

 

あー話さなきゃ良かったかもって思ってしまった

 

女性はやっぱり共感してくれる人が好きなのかな?

 

私は話を聞いてもらえるだけでいいけれど、共感が必要かな

 

もしそうなら、私の言葉はちょっぴり冷たいのかもしれないし、物足りないと思うのかもしれない

 

共感できないって事じゃなくて、何でも共感されると安っぽく見えない?って事だけかな

 

分からないなら分からないって言ってくれくれ〜って思う

 

中途半端に「分かるよ〜」なんて言葉は薄っぺらく聞えちゃうかもね