心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

勉強が必要な理由を考えてみました

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何で勉強しなきゃいけないの?

役に立つことなんてないじゃん!

って思う時が誰でもあるんじゃないかなと

我が子達も小学校1年生で既に言っている




海外に行くと、こんなに誰でもが一定の教育を受けられる国は少ない事を知る

言葉は小さい頃から喋っているから喋れるのだけど、世界中読み書きが出来ない人は沢山いるのだ

日本じゃ考えられない

小学校1年生で、それまで何もしていなければそういう子もいるけれど、何も障害がなければあっという間にひらがなもカタカナも漢字も掛けるようになる


教育を受けることを選べない人達が世界に沢山いる中で、日本は逆に教育を受けない事は選べない国なのだ

面白い

なんせ義務教育だもの


戸籍があれば教育を受けなければならない

だったら、一定の教育を受けることは日本人としての証なのかも


日本に産まれて日本人として生きているのなら、教育は必ず受ける

画一化した子供達を育てるつまらない義務教育だけれど、一律の教育が受けられる素晴らしい制度でもある


ある一定の教育が当たり前に受けられるのは、日本では当たり前だけれど、世界に出たら案外武器になる


いつどこで役立つかなんて分からないけれど、とりあえず日本で育った証位は持っておいてもいいんじゃないって思う


今の義務教育は中学まで

だったらとりあえず、中学の勉強まではやって置いた方がいいかも


不登校で授業を受けていなくても、何に役立つか分からなくても、中学校までの勉強はしておかないと日本で育った特徴が無くなっちゃう


海外に行って日本人だと言えば、義務教育は受けているという前提で相手は接して来るかもしれない


具体的に何か言われる訳では無いけれど、ある程度の知識がある事は当然だと思われるかもしれない

日本に居たってそうだ

日本で育って社会に出た時点で、義務教育を受けていない人はいない前提でこの国は動いている

社会に出て計算が必要になったからって改めて教えてくれる会社なんてほとんど無い

大人になって読み書きをひらがなから教えてくれるところはほとんど無い


ずっと不登校だった子に、やりたい事が見つかって、いざ大学や専門学校に行こうと思っても、中学校までの勉強が出来ていないと先にも進めない

全部イチからなんて出来ない


言い訳を聞いて「可哀想だね」と言われたって、ひらがなから教えなきゃいけない大人を雇用しようなんて会社はまず無い


それは極端だとしても、受けているはずの義務教育を受けていないハンデは、誰もが持っているであろう物を持っていないかもしれないという不安を相手に与えて、信頼関係を作れない可能性がある

もしかしたら不登校のハンデは勉強だけかもしれないのに…


誰でもいつかは社会に出なければいけないのだし、放っておいても大人にはなるのだからいつでもスタートラインに立てるためにも勉強はしておいた方がいいなと


不登校で自立する準備をしている子達こそ、いつか羽ばたきたくなった時に羽ばたける様に、勉強だけはしておかないと


なんて思う


それ以外のコミュニケーションとか実技の教科は、学校に行かなくてもどこでもやろうと思えば出来るのだ

なんなら勉強だって家で出来る


だから、学校には行かなくてもいいと思う

勉強は自分の未来を進むためにする事

特に中学校までは出来る頭なら自分のためにする


そこからは、してもしなくてもいいと思う


ただし、出来ない事を自分以外の責任にはしない事

しない事も出来ない事も全て背負って生きていく事


不登校だったからさ」「勉強をする意味が分からなかったからさ」なんて言ってもかっこ悪い


不登校だったけど、勉強だけは追いついているよ」って言えば、信用は逆に高くなる

どうせだったら、全ての経験を価値のあるものに変えよう


義務教育が日本人の証なら義務教育を受けてこそスタートラインに立てる

義務教育の意味のほとんどが勉強なら、勉強が出来ればいつでもスタートラインには立てる


だから、勉強はした方がいいかなと思う


いつかまた思いは変わるかもしれないけど、今はそんなものかな