心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自己愛性人格障害者は腐った柱

f:id:pilatesno-1:20210224221405j:plain

自己愛性人格障害者の存在って、どこでも大きい

 

周りの人を嫌な気分にさせるし、操作するし、とにかくいる時といない時の空気が違う

 

周囲はいなければほっと胸をなでて、いる時は緊張状態を保つ  

   

取り巻き達は依存して、全てを自己愛性人格障害者のために捧げる

 

周囲は結束力がついたり、バラバラにされたり、いじめられたり、毎日色々な事が嵐が来たかのように起こるのだ

 

影響力は凄い

 

 

だから「悪の根源だ!」と言って排除してしまうと、依存していた人達は路頭に迷う

 

緊張状態を保っていた人の緊張の糸がぷっつりと切れてしまう

 

自己愛性人格障害者にやられるから頑張って立ち向かう事が出来た事にも、気持ちが入らなくなる

 

自己愛性人格障害者がいなくなった事で、柱がなくなりフワフワと不安定な状態になってしまうのだ

 

もちろん、自己愛性人格障害者の柱なんて腐っている

 

もしかしたらシロアリに食べられたスカスカの柱かもしれない

 

そんな柱でも、柱が無くなるのは困るのだ

 

だから、なかなか排除出来ない

 

 

自己愛性人格障害者が絡んだ色々な問題がスポーツでも社会でも家庭でも起こる

 

自己愛性人格障害者だろう人がワンマンで起こす問題は数々有るけれど、腐った柱を取り除く事が出来るのか?代わりの柱をガツンと立てることが出来るのかがカギだ

 

そう考えたら、DVや虐待みたいに人数の少ない問題は、かなり厳しい

 

腐った柱を取り除いても、自分で立てなきゃ替わりの腐った柱を建てちゃう可能性だってある

 

会社だって組織だってそうだ

 

腐った柱の代わりを探さないと、潰れちゃう

 

結局最終的に何も変わらないじゃん!なんて事が起こるのは、腐った柱でもあった方がいいんじゃない?って結論に落ち着いたって事なのだ

 

これ結構厄介じゃない?

 

腐った柱でも柱は柱

 

遠くで見て「あいつやめさせちゃえばいいんだよ!」なんて言ってる人には分からない、難しい問題だと思うのです

 

自己愛性人格障害者みたいにまた激しく腐った柱を探しましょうか?

 

それが嫌なら自分が柱になりましょうか?

 

なーんて選択なのかな??

 

かなり究極の選択なのかもしれない

 

腐った柱をカビハイターかなんかでキレイに出来れば良いのかな?

 

そんなことしてももう変わらない 

 

そう、その柱は変えようと思っても変わらない

 

添え木をしたら良いのかな?

 

弱い添え木だと操られて自己愛性人格障害者と一体化しちゃいそうだな

 

建て直しも有りなのかもね