心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

私って冷たいのかも

f:id:pilatesno-1:20210302100925j:plain ボランティアとか今のところ全くやりたく無い

誰かを助けるとか、奉仕するとか、全然出来ない

損得を考えてる訳では無いけれど、別に身銭を切りながら何かをやる気は無い

誰かの役に立つことで、存在意義を見出すような人達にとって、ボランティアとか奉仕とかは最高だ

ありがとうって言ってもらえて、善人面出来て、人に必要とされる

可哀相な人を見て自分の幸せを噛みしめる

そんな人ばかりでは無いし、何とか人の力になりたい素敵な人は沢山いるのだろうけれど、私はその素敵な人にはなれない

そもそも、頑張って動かなくても人は役に立てるのではないかと思っている

体力を使いながらのボランティアも助かるけど、それと同じ位声を掛けてもらったり寄り添ってもらったりする事も有り難い

そんな直接助ける事とは対照的にその人を助けたいと思っていなくても、勝手に助けられちゃう事だって沢山あるかも

私、出来ればそういう事をしたいと思っているんです

私は誰も助けてはいなくても、私のした事で心救われる人がいるなんてことは面白くない?

このブログとかも、そんな不思議な部類のものかなと思うんです

私は、自分の中の思いを整理しているだけで、誰かを助けようとしている訳ではないけれど、それを読んだ人が、何かを気付いて楽になる

ピラティスもめざせNO.1も、対価と引き替えに運動を教えているだけだけど、その中の気付きで人生ガラリと変わる人がいる

私はその人を楽にするつもりも、助けるつもりも、変えるつもりも無い 見た事もない人を助けようなんて思えない

そもそも他人に影響を与えることなんて出来ないし、その人が拾う情報の中身をコントロールする事だって出来ないのだから、自分が誰かのために頑張る事は無い

それでも「私のおかげ」って思ってくれる人がいるなんて、何だかとっても面白いなと思っているんです

そんなこんなで、人のために何かをやってあげる気のない私って冷たいのかな??と…

情に厚い優しい人間だと自分では思っていたけれど、やんわりと境界線を人に意識させて越えないようにしながら、自分の幸せのために動く私って、結構冷たいかもしれない

誰かのために何かをしてあげられる人って、どんな頭の構造なのかな??

そんな優しい人間には…遠いな…