心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

ルールを決めるデメリット

f:id:pilatesno-1:20210307005710j:plain

自己愛性人格障害者達は「ルールが!ルールが!」と高々に騒いで人を追い詰める

 

ルールが出来ればいいことばかりなのかと思いきや、ルールを作らない方がいいことは沢山あるのだ

 

例えば、当番

 

「出来る人が率先して手伝いましょうね」って感じなら、やれる時間があるときにまとめてやることも出来る

 

「当分の間できないけど、出来るようになったらやるわ、いつもありがとうね」なんて言葉も飛び交う

   

「短い時間で良ければ手伝えるから途中で誰か変わってもらえる?」なんてコミュニケーションの取り方もある

 

やりたくない人はやらなくてもいいし、やりたい人は毎回やったっていい

 

「ありがとう」の一言さえあれば、上手く回るのだ

 

でも、もし当番制になったら、やりたくない人もやらないといけない

 

やりたい人も当番の時しか出来ない

 

ちょっとの時間で交代も出来ないし、当番の日はその予定のために必ず時間を空けなければならない

 

確かに平等にはなるけれど義務だから、やってくれた人に対する感謝も薄れる

 

自己愛性人格障害者は、何のルールもないところに「本当はルールがあるんじゃないの?」と言ってくる

 

お手伝いを楽しくやっている人に「本当は今日は○○さんがお当番をしなきゃいけないんじゃないの?」と言ったとする

 

お手伝いをやってた人は「??好きでやっていたのに○○さんにやってもらった方がいいのかな?自分達の当番と言われているところは予定があっても絶対にやらなきゃいけないのかな?」なんて思う

 

不安だ

 

そして、当番と言われた方だって「楽しんでやりたくてでやっていた人達を蹴散らしてまでお手伝いをしなければいけなかったのかな?」なんて思う

 

どちらもあまり気分はよくない…

 

ただ「ルールを決めない」というやり方は本当に難しい

 

自己愛性人格障害者は出来れば人よりも楽したい

 

受けられる恩恵は受けたい

 

お手伝いなんて、恩を売らなきゃやる意味なんてない

 

偉い人から「頑張ってるよね」と声をかけられそうな時はこぞってやるかもしれないけれど、何もないのにやることなんてない

 

自分がもしもやらなきゃいけないのなら、ルールを作って当番制なら納得がいくのだが、そうじゃないのにやる人の気持ちも分からない

 

だから率先してお手伝いをする人は何か裏があると思うし、得しそうならそのお得な情報を横取り出来る方法を企む

 

そんな人達が多い今の社会で、ルールを曖昧にして、善意や協力を求めるのは、理想だけど難しいに決まっている

 

抜け駆けを常に企む自己愛性人格障害者は、協力が何かを分からない

 

みんなで協力するなんてそもそも頭の中に無い

 

自己愛性人格障害者の協力とは「自分のために手足となり動く事」

 

皆が協力することは「皆で何か悪いことを企む事」

 

ルールが無いと、自分が得だけしか考えていないのがばれちゃうかもしれないし、自分以外の誰かか得しちゃうかもしれない!なーんて、考えながら過ごしている人が何とかしてルールを作ろうと、何かがある度に食って掛かってくる

 

 

自己愛性人格障害者達はルールを作るメリットを掲げながら、意気揚々とやって来る

 

訳の分からない理論でも、理想を掲げて理由を述べられると人間は案外弱い

 

ルールが無い事のメリットを分かっている人は意外と少ないから「ルールが無くて今の状態がいいと思いますよ!」と言うのだって、なかなか勇気がいる

 

とりあえず、分かっていることはルールが無い状態は自己愛性人格障害者にはめちゃくちゃ居心地が悪いということ

 

ルールが無い状態を保てれば、自己愛性人格障害者達は、大手を降るって「ルール、ルール」と人を攻撃することもない

 

逆に、ルールを作る事は自己愛性人格障害者達にとってそこを居心地のいい場所にしてしまうということ

 

たぶんルールを作る事のデメリットで最大のものがそこなんじゃないかと思う

 

今の世の中、どんどんとルールが出来てくる

 

細かいルールがあればあるほど、自己愛性人格障害者が多い世界だし、自立出来ない世界なのだと気がつけば、周りを見る目が少し変わるのかもしれません