心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

宮崎容疑者は自己愛性人格障害??

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自己愛性人格障害者の行動は、普通に考えるとなんだか意味が分からない

 

その行動になんの意味があるのか??と思ってしまう

 

この宮崎容疑者なんてまさにそう

 

あのあおり運転を、「自分は被害者だ」と言いながらやる

 

そんな言い分まかりとおるのか?と誰もが思うけど、本人の中では筋が通っていると信じている

 

親は既に亡くなっているみたいだけれど、とことんの成果主義で溺愛して育てたのかな?と思う

 

「勉強が出来ていい学校に入れた息子が自慢」と言うことは「勉強が出来ない大した学校に入れない人には価値が無い」と思う

 

「いい外車に乗っているのが勝ち組だ」という価値観だと「しょぼい車なんて乗る人達は虫けら」だと思う

 

虫けらには生きている価値なんて無い

 

虫けらは自分がイライラした時に感情をぶつけるゴミ箱として使っても構わないと思ってしまう

 

世の中の誰もがそう考えて生きていると信じて疑わないし、自分の考え方は真っ当だと思っているので、話をしても噛み合わない

 

 

言えば分かってくれると思って話し合いを試みても「常識」の範囲がことごとくかけ離れている

 

このかけ離れた常識に、初めは違和感を覚える程度だけれど、話せば話すほど恐怖や絶望感を感じる

 

 

何かを極端に誉める事が、あんな風に人を成長させるなんてビックリだ

 

劣等感を持っているからこその、カッコいい演出や強面の外側

 

表側を演出する人程、中身に自信が無いなんて、当たり前の事だけれどなかなか分かりにくい

 

カッコつけなきゃ、中身は無いけど、中身は詰まっているように見せなきゃいけない

 

中身が詰まっていない価値が無い自分は一生認められない

 

人に当たって、自分よりも虫けらな人達だと思い知らせてやっと自分が生きていけるのだ

 

社会とかけ離れた常識を常識だと信じて、自分だけの道理を通して疑わない自己愛性人格障害者の道理を理解しようと思って解析しても、バカらしい

 

 

それにしても人格障害者は増えている

 

「褒めて育てる」なーんて流行っているけれど、褒め方を間違えると大変!

 

誰かより出来ていることを褒めるより、前の自分より出来た事を認めて生きれるようにしないと、ずっと自分が勝てる誰かを探し求めて生きていく事になるんじゃない?

 

そろそろ気がついて欲しいかも!

 

なんて、思った出来事だったな