心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

「自分の経験を全て糧にして生きていきたい」の意味

f:id:pilatesno-1:20210307085403j:plain 「どんなに辛い経験だって、全て糧に出来る」

「無駄なものなんて一つもない」

そんな風に思えるのは、別にその人が順調に生きてきた証ではない

逆にその人が波乱に満ちた物凄い人生を歩んできた証拠だと私は思う

本当に糧になっているかとか生かされているかなんて誰も見ていない物だし、なんの根拠も無い

何でも満たされた生活が幸せだとも限らないし、お金が無い生活が不幸せかも分からない

病気だからって残念な訳じゃない

結局、自分の生活なんてどんなだってはっきり言って幸せには全く関係ない

今ある生活や自分をどう考えるかが何より大切で、それ以外に幸せを形成する物なんて無いんじゃないかと思うんです

波乱に満ちた人生を「全て糧にして生きていく」という考え方で、嫌な出来事にも感謝して生きていこうと決めたその人の幸せの形が垣間見れる

だから、「全ての出来事に意味がある」と考える人が私は好きだ

私自身もドラマがseason10くらい出来そうな出来事を経験して、そんな風に思うに至った

なのに、周囲は私の事を「なんの苦労もしてない幸せな人」と思っている

他人の評価なんて当てにならない

ましてやそんないい加減な評価しか出来ない他人に幸せの評価をしてもらうなんて、バカらしい

だったら、他人の評価を気にすることなんて止めたら?なんて思う

ただただ順調に生きてきたら、たぶん現状に感謝する事なんて出来ない

何も無ければ、当たり前の生活がかけがえのない幸せだなんて感じる事は出来ない

自分が今の現状に感謝できて幸せだと思える方法が見つかればいい

そんな方法の一つに「全ての経験を糧にして生きていく」という考え方があるんじゃないかと思う

他にも方法は沢山あるかもしれないけれど、とりあえず今の私には、その方法が合っている

幸せを感じる方法が一つでも見つかれば、どんなことがあっても結構楽しく生きていける気がする