子供の頃の食生活はその人を作る
結局、健康より大切な物は無いと私は思う
だから、健康的では無い生活に傾く人とはあまり合わない
健康に気を付けるとか健康的な生活をしようとか、そんな風に思わなきゃ健康な生活を送れないということは、たぶんその人にとって健康は非日常なんだと思う
そう思えてしまうということは、まだまだ健康に気を付ける事は出来るだろうし、たぶん健康的な生活なんて程遠い
生活は親が作ってくれたもの
もし自分が健康に気を付けなくても健康的な生活が送れているなら、親に感謝するべきかななんて思う
だから、私も親には不満ばかりだったけど、そこは凄い感謝している
食生活に気を付けても健康的な食生活には程遠い夫を見て、子供の頃の食生活の大切さを実感する
同じ物を食卓に並べていても、健康をチョイス出来ないし、それで満たされない脳が出来上がってしまっている
体が欲している物が必要な物のはずなのに、その欲求の向きが狂っている
そんな感覚をも退化させてしまうほど、子供の頃の家庭の食事は重要なのかもしれない
だからって、バランスのいい食事を与えれば良いのではなく、バランスがいい食事が楽しく食べられる事がいいのかなと思う
白ご飯が大好きで白ご飯しか食べなかった我が子にこの先一体どうなることやらと思っていた時期もあったけれど、その子も今ではビュッフェでも結構いいチョイスをしてくる
動かない時は食欲も湧かない、もしかしたら一番体に正直な食欲を示しているかもしれない
食事は楽しいし美味しいから今まで手を出した事もない食べ物にもたまーに挑戦してみる
ダメでも、数年後また挑戦してみる
それは、自分以外の家族と楽しく食卓を囲んでいるからこそ出来るんじゃないかと思う
夫の家庭は一体どんな食卓だったんだろう?
魚と野菜が嫌いなお父さんの元、子供達は野菜は食べていたと言っていた
けれど、実際初めていった夫の実家は無理して出したただ切っただけの山盛りのトマトしか野菜はなかった
味つけも濃く、味噌汁は倍に薄めても飲める様なものではなかった
揚げ物の山が並ぶテーブル
ここで育った夫には、私の食事は苦痛かもしれない
揚げ物なんてほとんどしないから、足りなければ買ってくる夫
当然かもしれない
これ、病気になって死ぬかもしれないと思っても治るものではない事に気がついた
もしかしたらこの人にとって健康的な食事は死ぬより苦痛なのかもしれない
雷に打たれても、無理なのもしれない
いつか不健康な夫の生活が変わる時があるなら、何がキッカケか興味が湧く
記憶喪失にでもならなきゃ無理なんじゃないかと思う位、子供の頃の生活が大切なんだと実感させられたここ何年
親にも子にも無理強いしたところでストレスになるだけだろうけど、もしも我が子に幸せになってもらいたかったら、楽しくバランスのいい食生活を心がけたらいいと思います
もし現在病気だとしてもその中で最大限の生活クオリティーで生きていることに感謝出来る人が私は好きです
それは、自分を大切にする事だし、周りや家族を大切にする事に繋がると思うから
ある程度年齢がいくと誰もが健康に気を付ける
生活のクオリティーが高い人ほど健康や食生活に健全なお金をかける
体が資本だと知っているからだ
だから、食生活を大切にする人で成功する人は多いし、生活の質は健康の質に比例してるんじゃないかなと思う