心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

家族の中の成長って何だろう

家族関係について考えていて思った

家の中で家族が全員いて、やりたい事を皆が皆が出来る事なんて無い

その時に「どう折り合いをつけるか?」って事が、家族の中で人が一番に勉強すべきことなのかもしれない

上の子は受験勉強の最中ピリピリして、下の子は宿題位なら何とか出来そうだが、その中騒いでる未就学児が居たりしたら、どうやって調整するのか?

テレビを見せて静かにさせたら、宿題出来ないし勉強出来ない

遊ぶために外に連れ出したら、宿題は終わらない

スマホで時間が潰れる

父親が帰ってきたら、もう一人子供が増えちゃうの?

じゃあ、誰がどうやって自立してやっていかないといけないの?

なんてところが、家族の勉強であって、大人も子供も成長出来る場所なんだと思う

もちろん、家族が増えれば調整も難しくなるし、我慢しなきゃいけないことも増えてくる

理不尽な事もあるから、社会に出てびっくりするような事が起きても、受け止められる

狭い家の中で、精神的な距離を保ちながら、調整を図る事は難しい事だけど、物凄い勉強だと改めて気がついた

ただ、誰かが我慢すればいいとかではない調整

親が厳しくて親が一番ちゃんとやっている様なお家は、素敵かもしれないが、逆に「調整をするものだというより、正しくなければいけない」という事が優先になってしまう

そうすると、「正しくなければ受け入れないとか正しくなければ受け入れなくていい」というかなり厳しい子が育ってしまうため、社会での調整が上手く出来ないのかもしれない

何でも加減が必要なのだと改めて思う

結構自分に厳しい私と、かなりいい加減な旦那の組み合わせも、チグハグだが悪くないのかもしれない

なんて思わせてくれた

学校に行く前段階での、家族の中での調整をきちんと学ばないと、学校での調整に苦労するのかもしれない

家族の中で、子供がやりたい放題で当然だったりしたら、外でも我が儘し放題になってしまうかもしれない

やりたい放題が許されるのは、赤ちゃんだけなのかも

そう考えたら、赤ちゃんの時って大切

全てが受け入れられる時に受入れてあげて、自立していくにつれて、その調整や我慢を家族間で学んでいかないといけないはずなのに、そこを学校や教育機関に任せてしまっているから、おかしな子達が育ってしまうのかなと思う

「家で人間関係を学んでいない子は、小学校には入れません」とか、「学級崩壊を招く子は家族関係からやり直しです」とかにしたら大変だけど、やっぱりある程度は家族の中で学ぶべき物なのかもしれない

その中で、発達障害とかの子は対応しなきゃいけないだろうし、家族関係が上手くいかない場合は、相談機関が機能しないと、結局、皆で成長出来てない人間を放出して、痛み分けする窮屈な世の中になってしまう気がする

教育も変えたほうがいいけど、家族のあり方の方が大切かも

起きて欲しく無い位衝撃的な事が起きない限り、そんなところに焦点が当たることは無さそうだけど