心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

自分の事以外はどうでもいい自己愛性人格障害者

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例えば、病的な自己愛性人格障害者である社長やトップが怪我をした場合

 

それはもう大ごとだ

 

入院すればもちろん皆でお見舞いに行かないとあとが怖い

 

お見舞い金も当然持っていかないといけない

   

自己愛性人格障害者は毎日誰かが必ず来てくれる事を望む

 

毎日人が沢山来る事で、自分は人気者だと確認する

 

他の入院患者とは違うと言わんばかりだろう

 

まさか、お見舞いに行く人誰もが「ここで行っておかないと後が怖い」と思って何とか時間を作ってお見舞いに行っているなんて、自己愛性人格障害者は思っていない

 

毎日沢山のお見舞いが来てほしいと自己愛性人格障害者が思っている場合、要するに自分が人気があるという事を他人に誇示したい場合は「〇〇さんは3回もお見舞いに来てくれたんだ〜そんなに来てくれなくてもいいって言っているのに」とお見舞いに来てくれた人達に言うだろう

 

すると、お見舞いに行った人はこれは誰よりも多く行けるだけお見舞いに行っておかないとまずいぞ!と思う

 

なぜか?

 

自己愛性人格障害者の周りは損得を考える思考になってしまっている

 

自己愛性人格障害者の支配が強くなると、損得勘定でしか物事が考えられなくなる

 

どっちが得か損かだけを頼りに、選択をとっさに迫られる生活になる

 

だから、沢山お見舞いに行ったほうが得だ!と思うのだ

 

こぞってお見舞いに行くことにより、自己愛性人格障害者を讃え人気者の地位に押し上げるという形が周りによって作られる

 

別に、皆お見舞いに行きたい訳ではない

自己愛性人格障害者が来てくれとは言っていないが行かなきゃいけないのである

 

 

では、自己愛性人格障害者の取り巻きが入院した場合はどうか?

 

基本的にはどうでもいい

 

周りはまさかと思うかもしれないが「自分の事をしてくれる人が居なくて困っている、あなたの代わりに誰かがやってくれるようにしてくれなくては困る!」と取り巻きに文句を言うかもしれない

 

本音はそうだけど、それがかっこ悪いと思えば「早く治って退院してよ、早く帰ってこないと寂しいよ」と言うかもしれない

 

取り巻きは「やっぱりあの人は優しい、私の事を思っている」と思うのだけど、中身はそうではない

 

ただ、身の回りの世話をする人が居なくて困っただけなのだ

 

それを証拠に、どんな病気か?なんてどうでもいい

ただ、居ない期間がどの位か、運転出来ないのは退院してどの位かだけを心配すると思う

 

代わりに誰かがその取り巻きの役回りをしてくれれば、それが取り巻きより至れり尽くせりなら、いつまで入院してようが構わないのだ

 

ただ、取り巻きの役回りは自己愛性人格障害者の身の回りの事だけではない

 

自己愛性人格障害者のストレスやイライラをぶつけられるゴミ箱である事も大きな役目だ

 

それは、他人には出来ない為、さっさと帰ってきてくれないと、ストレスがたまってどうにもならない自己愛性人格障害者は、その取り巻き以外の他人に全ての役回りを変わってもらうことはほぼ不可能となる

 

優しい言葉をかけて、喜んで急いで取り巻きが戻ってくるように働きかけるのである

 

あー、気持ち悪い