心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

子供に向ける親の暴力ってどういう事?

f:id:pilatesno-1:20210411014809j:plain子供が親には絶対的に敵わない

 

圧倒的強さを持って、暴力を振るわないといけない時ってどんな時なのだろう?

 

怒りが暴力に繋がるのは、イライラの発散の仕方として暴力という選択肢が存在する事が大前提だろう

 

うわーって泣きわめいて手の出る子と出ない子が我が家でもいる

   

まあ、子供の時は結構手足が出るかもしれない

 

大抵、言葉で負かされてしまう時だろう

 

仕方ない気がする

 

でも、大人が子供をというと、言葉で負かされる事はない

 

それでも手が出てしまうのは、言葉では上手く説得が出来ない時

 

言う事を聞かせられない時

 

結局、自分の力の無さに暴力という圧倒的な力を使ってしまうのだ

 

泣いてる赤ちゃんに手を出すのも、言葉では泣き止ますことの出来ない自分の力の無さに苛立ち行う

 

そこには、言葉では無理だと諦めた自分がいる

 

どうしても自分の支配下に置いて言う事を聞かせたい気持ちが止められないと思っている

 

赤ちゃんを支配出来ないと思っている?

10歳の子を支配出来ないと思っている?

 

それっていったいどういうことなのだろう?

 

勝てないのか?

同じ年なのか?

 

結局、同じ年齢まで下りてきてしまうのだ

 

兄弟喧嘩と同じになってしまうのだ

 

本人は、子供を負かしたつもりでも、子供の年齢まで下りてきて力という武器を使って支配したのである

 

「負けた」と諦めたから武器を使ったのだ

 

そんな事をもししているなら、とっても残念だ

でも、そうしなければならなかった自分を認めてなければ始まらない

 

勝ったと思っている人を「負けてたの!」って言うのは周りだって勇気がいる

 

だからもし、負けてた事を気が付かせてくれる人がいたら、幸せかもしれない

 

まあ、そんな人もなかなか現れない

 

だから、暴力は無くならない

 

もし「しまった」と思ったら、怒りを冷静に処理できる回路を作らないといけない

 

まあ、専門家にお任せするような事じゃないと思っても、専門家に任せた方が早い

 

誰でもあるけど、自分で気が付いて治すのは不可能かもしれない

 

疲れてるのよって放って置くと、子供が大きくなった時に、心の支配という形に変化してしまうかもしれないから