心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

親子で遊ぶと社会に出て出来る子育つ訳②

f:id:pilatesno-1:20210216090303j:plain実は幼児や乳児の子育てを見ていると「親子遊びは共感性を育てる」みたいなタイトルは多い

 

でも、それってイメージは手遊びとか…かなり小さい子供のイメージだ

 

小学校に入って「子供と遊ぼう」と聞くと、やっぱりアウトドアにパパが連れて行くイメージになる

 

インドアイメージは少ない

 

でも、インドアでもオッケーかもしれない

 

子供と親が同じ遊びをする事は共感性を育てる

 

そして、これは幼児にも大切かもしれないが、小学校高学年からもっと必要な事なのでは無いかと思う

 

インドアだと、ブロックや将棋、囲碁やオセロなど

 

アウトドアは海や山でのアウトドアや競技など、親が教えているだけではなく、どちらかといえば親も楽しんでいる事が条件ではないかと思う

 

そんな子供との関わりは、親にとって教える事ばかりでは無い

 

どんな事でも子供目線の見方や成長から教えられる事や出来る事も多い

 

小学校高学年になると、何かをするために考えられる年になる

 

大人と子供が同じく出来ない時、大人は頭を使って技術を習得する

 

子供は感覚優先で人の真似をして技術を習得する

 

時間的には、ある程度になるのに考えた方が早く技術を習得出来る傾向が高い

 

どちらも最終的な到達点が一緒でも、違う道を通る事が多い

 

 

そんな違いに、子供達は触れる

 

うちの子が5歳の時にスケートに遊びに行ってスケートを競技でやっているリンクのお姉様達を見て「ママはジャンプ出来る?」と聞いた

 

「出来ないよ、スケートを教えてもらった事無いし」と答えると「教えてもらわないでなんでそんなに滑れるのか?」と聞いてきた

 

教えて貰わなくても、普通に滑ることは出来ると話すと、そうなのかと納得したようだった

 

どうやら、5歳は教えてもらわないと、前に滑ることも出来ないと思っていたらしい

 

もしかしたら、今の子供達は教えて貰わないと何も出来なくて当然と思っているかもしれない

 

小さい頃から何かをやらせる時に習い事をさせる

 

親は専門家にお願いしてしまう

 

親と一緒に挑戦する事って少ない

 

出来る人が出来るのは当たり前だし、教えて貰って出来るのが当たり前なのかもしれない

 

親が出来なければ手を出さないのも当たり前なのかもしれない

 

いやー、随分挑戦出来ない雰囲気なのかも

 

失敗が怖い世の中だから

 

大人になると、新しい物に挑戦する事は少なくなる

 

でも「素敵な人」と言われる人は、何歳になっても新しい物に挑戦する

 

そういう人は、出来ない自分や出来ていく自分にわくわくする

 

出来ない事がネガティブな失敗ではなく、出来ない事がポジティブなこれからの成功の過程なのだ

 

遊びって、絶対に親が勝つ訳ではない

 

親が必ず出来る訳ではない

 

何かの競技をやる時も、小学校高学年位で親に追いつく

親だって子供には負けたくないと思う時が来る

 

そこで、親が頑張ったり、他の物に転向したりするかもしれない

 

子供が自分の技術を越えた時に、親が教える側にいるとしたら、教える技術を極める方に専念するかもしれない

 

勉強だってするかもしれない

 

そんな姿に、子供は目標に向かう面白さや遊ぶ楽しさ、失敗を成功に変える術を身につけるのかもしれない

 

同じ事で笑ったり楽しんだり、お互いに出来た事を喜んだりする事で共感性を身につけるのかもしれない

 

だから、親子で競技をやる一流アスリートは全体的にコミュニケーション能力が高い

 

しっかりした子が多いのかもしれない

 

親が子供だけにやらせるだけでなく、親が楽しんでやる事で、競技ではなく趣味を極める姿も見れる

 

大好きが生活の一部になることを知る

 

好きだけでは仕事にならない事も知る

 

 

習い事は今や子育ての一部だけれど、親が出来る事ややれそうな事には手を出して欲しい

 

全てを任せるのは先生も他人も迷惑だ

 

親はやった事が無い事に手を出さないのに、子供は新しい物にチャレンジしてほしいなんて都合が良すぎる

 

 

全て、遊びからかもしれない

 

子供と遊んで欲しい

 

子供と一緒に挑戦して欲しい



きっと、そんなところから、コミュニケーション能力も社会性もチャレンジする力も出来てくる