人の思いを得ることは物凄い対価を得ている事に等しい
物の金額は決まっているけれど、特にサービスの金額は決まっていないし、対価を得られない場合も多い
サービスする時に笑顔で応対しようが暗い顔で応対しようが、金額が変わる事は無い
でも、笑顔で対応したらまた次にその店に来たいと思うかもしれない
話が楽しければ、その人が来る事を心待ちに出来るかもしれない
同じ商品を同じ値段で買いに行くのに、少し遠くてもその笑顔に会いに行くかもしれない
どれも全てただだけど、「笑顔を提供出来るか?」「笑顔を提供してもらえるか?」は、その人にかかって来るはずだ
本当に頭に来るお客様だって、お金を払えばその金額相応のサービスは受けられる
でも、きっと笑顔を受ける事は無い
来て貰いたいと思う事も無い
こんな事自体は大した事では無いかもしれないが…
ちょっと極端な話、例えばスポーツ選手などはどうだろう?
センスがある子がいたとして、稀に先生がお金を払う事が出来なくてもこの子をどうしても育てたいって思って引き取る様な時がある
子供の様に育てる事ってある
先生では無くても、スポンサーがついたり、関わる人で助けてくれる人がいる
そういう子は、技術にセンスがあるだけでは助けてはもらえない
もちろんセンスや技術が無いのに助けて貰えることを望むのはかなり難しいと思うが、その技術やセンスにプラスしてその子や家族の性格だったり、そのスポーツに向き合う姿勢が必要だったりするのかなと思う
思いは全て無料だけれど、見返りを求めた無料では無く、見返りの無い無料のサービスが提供されるには、必ず条件がある
しかも、いくら見返りを求めていないサービスであったとしても、感謝があるか無いかで次からの対応も変わってくるに違いない
なんとかしてあげたいと思って面倒をみた子が、思った以上の成果を出したり、結果、失敗に終わったとしてもその経験で何か自分の中でかけがえの無い物を得て、その感謝や思いをキチンと伝えられたなら、それはお互いに素敵な経験となり、無料のサービス提供も享受もwin-winの関係に変わるのかもしれない
それには、お互いに真っ直ぐな思いと感謝が不可欠
周りの人はきっとその人やその先生の対応や思いに惹かれ、また見返りの無いサービスがその人達の周りで提供されて行くのかもしれない
性格が良いか悪いかなんて、仕事の出来る出来ないには直接関係無いかもしれない
でも、無料サービスが近くにいると素敵に回る人っている
同じお金しか動いていない様に見えて、その人の周りには見えない思いに乗せた多額のお金が動いている
自分の事だけでいいと思って、目先の損得ばかりを追いかけていると、びっくりする程損をしている可能性もあるのだという事を知った方がいいかもしれない
そんな思いを感じ、本当に感謝する出来事ばかりだ
この思いに答えるには、どうすればいいか?
とりあえず、自分を活かして頑張っていきたい