心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

共依存

私、共依存って言葉を使うことがあまり好きではありません

何だかわかりにくいのと、自分がちゃんと分かっていない言葉だから…

自分が分からない言葉は、使いづらい

ところで、自己愛性人格障害者の被害者いわゆるターゲットは共依存って言われている

かつて自分もそうだったかもしれない

そして、身近にそんな人もいる

日本人は物凄い多い

そもそもの共依存の人の考えって「誰かに必要とされないと生きてる意味がない」って人

優しいし、親切だけど、ありがた迷惑な人

共依存の人が一番かけてもらいたい言葉は「あなたがいないと生きていけない」って言葉ではないかと思う

そのために甲斐甲斐しくお世話をする

例えば、洗濯物のしまう位置もわからない夫

もちろん、どこに何があるかなんて分からない

毎日奥様が身の回りのことをすべてしてくれる

奥様は大抵夫の文句を言う

「私がいなかったら生きていけないのよ、あの人は」と言うだろう

でも、実は違う

夫が自分で家事をするようになる事を促してはいない

手伝っても欲しくない

今のまま、自分がいないと困る夫のでいてほしい

そうでないと自分の存在価値はなくなってしまう

こういう人と、ずっと近くにいると息苦しい

周りの皆が自立して動くと「私はここに居ても意味がない」「私は存在する価値が無い」と言う

毎日どんなに「大切ですよ」と言っても、気持ちがどんどん落ちていく

そもそも自己肯定感の低い共依存の人は、毎日「ありがとう」をもらうために懸命に働く

自分の事を後回しにして、人のために時間も気持ちも使う

そもそも自分の時間が一番では無いはずなのに「自分の時間を犠牲にしてやってあげた」と思っている

だからただの「ありがとう」以上の感謝を求める

誰でも「いてくれてありがたかった」なんて言葉は、嬉しいけど

それを言うように押し付けられるのは困る

そんな共依存の親が増えてきて、優しさや自分の気持ちの押し売りをしながら過保護に育てた子供が、ニートになるのかもしれない

「家にいてなんにもしないのは困っちゃうわよね」なんて言いつつ「私が死んだらあの子困るのよ」ってニコニコしながら言うのである

共依存でも自己愛性人格障害でも何だかあんまりかわらないけど、どちらも自立を拒む結構厄介な生き物だと思う

お互いに文句を言いながらくっついているのはある意味仕方がないのかもしれません

自己愛性人格障害者の事は私しか分かってあげられない」

なんて思ってるのかもね