自己愛性人格障害者の母親に子供がいる場合、子供は他人と比べられ、何でも尻を叩いてやらされる
それは自己愛性人格障害者にとっては、優しさであり子育てのあり方として当たり前の事である
子供がやりたいかやりたくないかの選択の余地は無いし、そんな事を子供に聞いたところで仕方がない
子供は未熟者だから、未熟者の言う事を出来た大人が聞く必要は無い
未熟者の言うことは信用が置けないし間違っている
もしかすると、子供を別の人間としては見れない人もいる
私の気持ちと一緒だから、私の考えは子供の考えであり、子供の意見を聞かなくても、子供の気持ちは当然分かっている事である
「お母さんは、あなたのことは何でも分かっている」なんていう
自分の引いた道こそ正しい道であり、そこを走らないと子育ては失敗となる
失敗した子供を自分が作る訳はいかないと子供の尻を叩くのです
もちろん、周りにもそれを強要します
夫にも考えを強要し、こんなに子供を思う私はなんて出来た奥さんかととくとくと語るだろう
お金も期待も子供に全てを注ぐ事を強要して、その子供がいい成績をとれば自分の手柄として、意気揚々と歩く
こんな事は、大抵女性が女子を産んだ時に多く発生します
尻を叩いてやらせても、子供の意志は無いのです
勉強に運動にどこまで頑張っても、親の意向であり、自分の意志は抜け落ちてしまっています
子供が気がついた時には、自分がどこにいるのだか、何をしたいんだか、全く自分の意志のない空虚な自分しかいません
親に引かれたレールの先の世界でしか生きていけない、そこでしか生きる価値が無いと思う諦めと共に、親への憎しみを抱えて大人になっていくのかもしれません
子供の尻を叩いてやらせる事は程々にした方が良いかもしれません
子供の尻を叩くのだったら自分の尻を叩いて、自分の夢を叶えたほうが、断然楽だし楽しいです
他人は子供でも思い通りには動きません
思い通りに動くのは自分だけです
自分の人生を自分で選択して、歩んでいく道を開拓した人には、本物の幸せが見えるのかもしれません