我が子の幼稚園の親子で何かを制作をする時間が大っ嫌いです
この幼稚園が特別なのか、他の幼稚園もこうなのか知りませんが、とりあえず毎回保育園ではありえない光景が広がります
今日は、運動会の衣装の後ろに入れる一文字を考えてクレヨンで書きましょう!という題材でした
だいぶ前にお便りに書いてあったので、我が家は私の決めた文字を前日家で子供と練習していきました
全て子供にやらせようと思っていました
そもそも、今まで上の子の保育園だと全てを子供にやらせます
考えて来ることは家で親としますが、子供に思い思いに書いてもらいます
間違えたってどんなのを作ったって子供の頃は良いんです
それもかわいいし、その年にしか出来ない素敵な思い出だと思っています
何なら、自分で書けそうなひらがなにしようかとも思いましたが、頑張って簡単な漢字を選びました
そして、実際私達親子は子供と二人で鉛筆を持って下書きをし、そこから文字を太くするのも色塗りも全て子供がやりました
やりながら子供は自分で考えて「白いところを塗りつぶせば良いんだ!」とか
「おっ、考えたね」「凄いじゃん、うまいじゃん、出来たね」といいながら、全てを終えました
周りはというと、下書きは誰一人として子供とやった人はいません 親が全てやっています
クレヨンも子供は持っていないのです 子供達は簡単な枠を塗るだけの作業か、それすらやらせない親も
「あなたがやるとキレイに塗れないからママがやってあげようか」と子供にいう親
「うわー上手」とママ同士でママの作品を褒め合う姿
子供を褒めている親は私の見る限りあまりいませんでした
結局、ママがほとんどやってママの作品に満足します
「親子一緒に」は必ず「ママだけ」になるのです
見ていてゾッとします
これを子供達が、どういう風に思うか…
子供達はお母さんが作った作品が良いんだと思います 自分がやるとキレイに出来ないし、自分がやった物は認めてもらえない
作ることに自信はなくなるし、そもそも作るときに自分で考えていい作品にしたいというアイディアが自分の中から生まれて来ません
全てを却下されてしまうし楽しくないし考えても仕方が無いのです
お母さんが自慢できるような作品を作らないと失敗だと思い自信を持って自由な発想ができません 自分は駄目なんだと自己否定するのです
この「お母さんの自慢できるような」という曖昧な基準を探し続けてしまうのです
基本子供には固定観念がありません
子供の頃の自由な発想は、その時にしか無いものです
私はその頃の色使いや作品が大好きだし、そういう感性に面白さを感じます
もちろん価値観は人それぞれですのでどう考えようといいのですが、そこに面白さを感じられないのは寂しいなといつも思います
私にとっては、子供への支配欲とか、親の価値観の押し付け、境界の無さ、何にも認めてあげていない事への憤りを感じる大っ嫌いな時間です
人参が黒くても、お月さまが赤くても、それが心に映る色なら楽しんで認めてあげたいなと私は思います