心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

取り巻きに取り巻きの自覚はない

まさか自分が自己愛性人格障害者の取り巻きになるなんて…と誰もが思っている

実際、取り巻きとして誰か一人をいじめていても実はいじめている意識はない場合が多い

自己愛性人格障害者の事をとんでもない奴だと思っている場合も多く、なんならいじめている相手と共に自己愛性人格障害者から被害を受ける仲間だとすら思っている

私も我慢してるのよ〜
よく分かるわ〜
なんて言いつつ、自己愛性人格障害者からの攻撃を日々受けている何人かのなかで、自分よりも攻撃を受けている人(ターゲット)よりはましか!
という気持ちが芽生える

そして、常に自己愛性人格障害者はターゲットを常識が無いと言い続ける
常識がないわけではないんだけど、他の周りの人はその自己愛性人格障害者のご機嫌を伺ってしっかりと動こうと尽くす中で、常識の範囲で動いた人を常識が無いと罵倒するのだ

皆はやっているのにって気持ちが周りにいる人達の中で広がる
そのコミュニティー?自己愛性人格障害者の常識ではないと言う事

気がついたら、ターゲットを可哀想だと蔑みながら、さっさと動けない不器用さを馬鹿にする

その間にも自己愛性人格障害者の操作は続き、ターゲットのみに別の情報を与えたり、ターゲット以外の人にターゲットが悪口を言っているような情報を与える

結局、ターゲットが悪いからターゲットになるのだと周りが思ってしまうのだ
ターゲットに対する悪口も増える
それを拾って、自己愛性人格障害者はターゲットにそれを伝える
伝えてるだけで自分は味方だという

気がつけば、自己愛性人格障害者がいじめていなくても、周りが敵だらけになりいじめは深刻になっていく
自己愛性人格障害者は、皆にいじめられてる人にも寄り添う優しい人の面を被ってターゲットを追い詰め壊していくのだ

では、ここからどう逃げるか?
別のコミュニティーに逃げれる人は逃げる
無理なら、一人でいる事を怖がらない
自分が悪いと言われても、悪者でいる自分を受け入れる
悪い人には誰だってなりたくない
でも、本当に悪い人でないなら、何を言われても構わないはずだ
だから、そうじゃないことは言われても無視する
そして、そのいじめに加担した人達に好かれたい訳では無いと言い聞かせる

後で仲良くしてきても、付き合わない相手なら嫌われたって構わないはずだ

なぜ、そこの信頼を回復したいのか?本当にその我慢をする必要があるのかを一つ一つ精査したほうがいい

いらないなら諦めればいい

取り巻きになるかならないか、自己愛性人格障害者から逃げるか逃げないか?どれも自己評価が低いと引き寄せられてしまうから、きをつけるより自己評価をしっかり上げて確立することで決まる事を知ろう