心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

男として、女として、人として、親として…

自己愛性人格障害者は「男として」「女として」「人として」「親として」「社会人として」などなどの言葉をよく使う

 

そして、その人の常識を問うし、自分にハクをつける

 

人としてどうなの?と言われると相手はどう思うかといえば人格を否定されたと思うかなと私は思う

親としてどうなの?と言われれば、親として失格でしょって言われた気がする

 

だから、心が傷つく

 

そして、親として人としてしっかりした自分を見せたいと思い、忖度の部分がどんどんと増えていくのだ

 

「男としてのけじめをつける!」っていえばカッコ良く見えると思っているが、男としてのけじめなんていらないし、実は存在しない

「トップとしての覚悟は出来ている!」と言っても、何にもないのだ

 

そう言うとかっこいい!と思っているだけ

なんのビジョンも芯もない

その場その場で、よく見える自分を人を見ながら模索して演じているだけなのだ

 

自分のこれだという思いが全くないので、しょっちゅう怒ってこだわりがあるように見えるが何にも無いのが凄い

 

だから、だいっきらいと言ってるものでも、「物凄く流行ってていいですよ〜」と勧めればあっという間に「これいいね」ってなるんです

周りが恥ずかしくなるくらいコロッと変わるんです

 

そんな人の「男として」「人として」なんて言葉をまともに受ける意味が無い事に、その場で気がつくことは本当に難しいけど、気づかないといけない

 

どんなに訓練しても、その場で冷静に頭を働かすのは難しいなと思う