心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

稼いでるのは俺だ!

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「誰のお陰で食べれてると思ってるんだ!」って言葉

 

これ、一度言ってしまったら取り返しが着きません

 

この言葉を言った瞬間に、この人は稼ぎだけの人になっちゃうんです

 

それ以外の価値がその人に無くなってしまうんです

   

それって、これを言った人にとって一番避けたい事なのかもしれません

 

そもそも、この言葉を言う原因は劣等感にあります

 

稼ぐ力のある自分と稼げない価値の無い妻や子供という力関係を誇示しようとしている

 

この人にこれ以外の価値が沢山あったとしても、本人はそれが分からず、しかもそれ以外の価値をあきらめているということなのかもしれない

 

なんだかさみしい

 

価値のない人なんていないのに、誰かに向かって「価値がない」と思った瞬間に自分の価値を問うことになるのかもしれない

 

この人はこの先の人生を価値のない家族と過ごすのかな

 

価値のない家族に囲まれて、稼いだだけの人生に誇りを持って日々を過ごすのかな

 

相手の心に必ず伝わるその思いは、たぶん本人の欲しい温かな心を生み出さない

 

ほんと、残念

 

 

 

自己愛性人格障害者の取り巻き1番の地位

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自己愛性人格障害者の取り巻きには明確な順位がある

 

しかも取り巻き1位という地位にはものすごい意味があるんです

 

だから、自己愛性人格障害者の取り巻き1位の座は死守しなければならないし、奪わなければならないのです

 

それは熾烈な争いです

 

 

取り巻き1位には、下位の取り巻き達全てを統括する権限が与えられます

自己愛性人格障害者はそのグループのトップではありますが、束ねたい訳ではありません

 

自分の思う通りになって、自分が崇められていればいいのです

 

その組織を仕切って、下位の人達の意見をトップの自己愛性人格障害者に伝えるのは基本この取り巻き1位の役目

 

誰かがヘマをして、責任を負うのはこの取り巻き1位の責任

 

だから、いつも自己愛性人格障害者であるトップに怒られている

 

でも、これは信頼の証…

 

トップの右腕のような存在です

 

1番は唯一自己愛性人格障害者と話せる関係だったり、特別に家族が優遇されたり、金銭的にもちょっぴりおまけをして貰えたり…

 

だから、取り巻き1位を死守するために、足を掬われそうな部下が現れると嘘をついたり情報を故意に流さなかったりしながらそっと陥れるんです

 

取り巻き1位の座を奪うために、他の人達が悪口を言っていた等のトップに有用な情報を自己愛性人格障害者に告げ口します

 

どこで何を聞いて誰から告げ口があるか分からない気持ち悪い集団なんです

 

皆が疑心暗鬼になるし、皆が敵です

 

まるで壁に耳があるような…

 

自己愛性人格障害者のグループが上部だけの仲良しを装うのはこのため

 

皆が心で軽蔑しながら表で誉め合っているんです

 

突然どこからかトラップが仕掛けられることもあって、「ここだけの話あの人ってちょっと嫌よね~」なんて言葉に「うん」と相づちしただけで、「あの人悪口言ってたよ~」なんて言われちゃう事もある

 

あっと言う間に犯罪者みたいに言われてしまったり…

 

信頼関係を築けないグループなんて、心が荒みます

 

子供にとってもきっと良くないでしょうね

 

やっぱり自己愛性人格障害者は媚びるのか~

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もう、せかせかとしてて苦手すぎる

 

苦手な女性自己愛性人格障害者上司に特別扱いを受けてご満悦なせかせかアルバイトさん

 

出来る自分を周囲にアピールしたいのか、電話も社員さんより取り、仕事も率先してやる

 

上司の手となり足となり、気が利く事を他の方達に分からせる様に、「これ、やりましょうか?」「~さんが言ってました!」と声を掛ける

 

ほんと、せかせか…間髪いれずに…

 

「~をお願い出来る?」という上司に

 

「はいっはいっ」「分かりました」

 

被せるような返事と、Noと言わない従順さ😵

 

私にも「終わりそうも無いなら手伝いましょうか?」と…何度も

 

他にお仕事を探さないといけなくなるので、丁寧にお断りしましたが…

 

ほんと、驚くほど従順な下部

 

自己愛性人格障害者から評価されたそんな取り巻きちゃんには、その地位にあやかろうと似たような評価を頂きたい自己愛性人格障害者さんが群がります

 

私達は他の方達とは、違います!と線引きをしようと必死です

 

そして、その線引きをしたい方達が気が利く事をアピールするために勝手にお仕事に細かくルールを作ります

 

忖度です

 

気がつけば、そんな細かいところまでルールを作らなくて良くない?って思うくらいの細かいルールがその方達を主導に作られてしまっているんです

 

自己愛性人格障害者上司のお気に入り」厄介です

 

そろそろ潮時?

こりゃー、ゆっくりフェードアウトしなきゃ

 

自己愛性人格障害者は笑顔と幸せが嫌い

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自己愛性人格障害は常に競争して生きている

 

早さを競ったり、レギュラーを取ったり、誰かの一番になったり、役に立つことや頼りにされること、自分に目がいくようにする事、人が集まる事やいいねが沢山もらえる事なんかはもちろん、不幸な出来事の経験とか、それでも頑張ってる自分とかまで競っている

 

役に立つとか、けなげに頑張る自分なんかは、他人と競って勝てれば承認欲求が満たされる

 

人が集まるとかいいねが沢山もらえるなんて、目に見えたり数字で分かるものも分かりやすくて大好きなはず

 

他人に勝つことは他人を蹴落とす事だから、「その人よりも自分が凄い!」とか「自分の方が可愛がられてる!」という結果は、自分はその人よりも充実しているし幸せだと認識出来る

 

ただ、幸せって個人の価値観で、数字で表せる物じゃないし見ても中身までは分からない

 

同じ朝日を見ても、余命宣告された人にとってはホッとする特別に幸せな時間かもしれないし、今から憂鬱な仕事に行く人には最悪な日の始まりかもしれない

 

そんな物凄いアバウトな価値観で幸せがなりたっているのだから、何でも競って勝つ事で幸せを得たい自己愛性人格障害者にはなかなか分かりづらいものかもしれない

 

勝ったって蹴落としたって実は何にも手に入らない事にも気が付かず、ニコニコして幸せそうな人と競い続けてしまう

 

得体のしれないお化けみたいな幸せを奪ってやろうと必死になっても勝つのも奪うのも実はとっても難しい

 

だから、ニコニコと幸せそうな笑顔にそっと近づいて、その笑顔を奪うことに固執して、やり過ぎても気がつかないのかもしれない

 

はたから見たら自己愛性人格障害者は物凄く満たされているように見えるのに、まさかそんな事はしなさそうなのに、笑顔と幸せを奪ってその笑顔と幸せを自分の物にすべく日々闘っているのかもしれないです

 

自己愛性人格障害者にとって他人の笑顔と幸せを奪う事って趣味みたいなもので、日常の何気ない出来事なのかもしれません

 

物凄く近づいてそのターゲットにならないと分からないこわーい趣味

 

ほんと、参っちゃう

 

脱した?


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ここに足を止める人は、たぶん色々な事に悩んでいる人かなあと思います

 

一時期どっぷりとブログを読みあさって去っていくんだと思います

 

その時、「あー、脱したな!」って思っているといいなって思います

 

今はとっても良い時代で、自分と同じような境遇や思いの人が沢山いることをネット上で確認できたり繋がったりが簡単に出来ます

 

一歩は大変ですが、昔に比べれば結構自分次第な世の中だと思います

 

それは、自己愛性人格障害者の標的だろうが、身体的な障害だろうが、ちっぽけな悩みだろうが関係無く…

 

なんて、パラリンピックを見て思いました

 

パラリンピックとは、障害があっても元気な私よりも何倍ものパワーとポテンシャルを持って生きている人達の競技会なんですね

 

いやー、真似できません

 

尊敬しかありません

 

それと同時にその周囲にいる人達のパワーや思いの強さに圧倒されます

 

きっと、過去にどん底で情報を漁った時代があったんだろうななんて想像しています

 

どこかから「脱した」人達は、辛い思いもしてると思いますが、皆と同じ周囲と同じで生きてきた人達には無い宝物を持っています

 

キラキラしてますもの

 

ぜひ、脱した方達は脱した自分に気がついて前の自分にはない世界を見ながら楽しんで生きていって欲しいなあと思います

 

この世界は死ぬまでの有限の世界ですから、そっと手を繋いで力を貰って与えて生きていきましょう!

 

そんな方達の通り道になっている事を願っています

 

ふと、私の頭の中を覗いて通り過ぎる人達が沢山いる絵を想像してしまった!

 

皆さん、物好きですのぅ~

自己愛性人格障害者的な言葉「あいつは使えない」

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先日、「細かい事を注意する人は苦手」って記事を書きました

 

pilatesno-1.hatenablog.com

 

この記事で気持ちは落ち着いたなあと思いつつ実はモヤモヤしていました

 

で、またまたこの人達とお仕事する機会があったので、何が苦手なんだろう?って思いながら時間を過ごしてみたんです

 

記事の中で書いた完璧主義の方達の方のお話です

 

確かに処理スピードは早い

 

早口で捲し立てるように話ながら仕事をどんどんとしていくんです

 

この人達がいないと回らないだろうなって思う場面も多々あるんです

 

ただ、やっぱり近くにいて居心地は悪い

近くにいればいるほど居心地が悪いと言った方がいいかも

 

なんだかあわただしいお二人にそんなに急いで話さなくてもいいんじゃない?って思いました

 

お仕事にもよると思いますが数秒も無駄に出来ない様なお仕事では無いのに、数秒を競うようなせかせかと対応は、相手を焦らせます

 

事務的にこなすよりも、一呼吸置いて話をする事で、周囲は焦らず作業出来るし、ニコッと笑って返す事で皆が穏やかな気持ちでいられると思うんです

 

対人間のお仕事なら尚更です

 

もし私が逆の立場だとして、事務的でスピードの早い人の前に行くのは相当焦っている時のレジ位でしょうか?

 

レジだっていくら早くてもこの人のところは嫌だったなって思う人はいます

 

自分の対応で目の前の方の返しが明らかに違う事にも気が付かず、一人でも多くの方を処理する事に全力を注いでいるお二人を見てなんだかなあと思っていました

 

きっと事務の職人さんなんですね~

 

まあ、そんな話しはさておき、この二人「あいつは使えない」「あれは勘弁して欲しい」「あんなことに気が付かないないなんてバカだ」とずっとある方達の文句を言っていました

 

標的になったのは確かに初めての事にまごまごとしている方達でしたが、初めてですから色々と試行錯誤しながらこなしていっても当然です

 

おまけにかなり年上の方達を相手に、「仕事が出来ない」「使えない」と影で言い続けているのは、近くにいて気分のいいものではありませんでした

 

はて、私も裏で言われているかもしれませんね

 

言われないかもしれなくても、「誰と比べてあいつは何番目だな」って思われるんだと思います

 

「初めてだし仕方ないんじゃないですか?」なんても言えませんでしたが、ニコニコと相づちを打ちながら私はその場をやり過ごしました

 

「あいつは使えない」この言葉、いくら後輩で何かが出来なくても私にはちょっとボキャブラリーの中に無いかもしれません

 

もし、上司やベテランさんが部下にそんなことをいうのだとしたら、使えないのはその部下ではなく、人を上手に生かせないその上司やベテランさんの能力が無いのかなあなんて思います

 

どんな方にも向き不向きはあります

今動きにくい方にも力が発揮できる様に情報を与えたりやり方を考えることが出来れば、自分自身はそんなにせかせか動かなくても良いのになあ~なんて思います

 

プレイヤーはいつまでもプレイヤーなんでしょうか?

 

以前に、お二人と仕事をして明らかに心が折れている方を何人かお見かけして、実はちょっぴり疑問でした

 

細かいところには煩いけれど、頼りになる存在なお二人

 

テキパキしていて、見た目もとても素敵です

 

なのにどうして??と

 

でも、やっぱり、裏で悪口ばかりのお二人

 

年上、年下関係無く、仲間と思っている方以外であれば何を言ってもいいと思っています

 

「あいつは使えない」の中身は、人間を物として扱い、比べて、自分を優位に立たせる自己愛性人格障害的な考え方の象徴である言葉だったのかもしれません

 

私も多かれ少なかれ査定されているのだなあと思うと、一緒にお仕事は勘弁して欲しいなと思いました

 

ちなみに自己愛性人格障害者は効率重視です

 

この効率とは数字で見れる処理量の事です

 

人間関係が上手く行くとか、コミュニケーションが上手にとれるなんてところに評価はありません

 

だからですかね、あの人達は人間関係を大切にする事はありません

 

ギクシャクしようが周囲が凹もうが関係ないのかもしれません

仕事量が少ないなら、悪口を言われても当然とさえ思っているでしょう

 

お前の仕事が出来ない分を肩代わりしてやったから、俺のストレスの捌け口くらいにはなれ!ってところでしょうか…

 

私はあのお二人に評価されることは無いと思いますが、仮に評価されても近づくのは嫌だし、陰口を叩かれても嫌だし、結局ある程度の距離を保ってスルーしないといけないなと感じます

 

やっぱり私の苦手な人は初めの人当たりが良くても自己愛性人格障害者なのか!って結論でした

 

自己愛性人格障害的な考え方って、なかなか近づかないと気が付かなくて、難しいです

 

見た目も第一印象もある程度近づいてもピカイチだったりしますから、「悪いところ無いんじゃん!」って人の裏側?みたいな…

 

人間って、良いところも悪いところもあって良いんじゃん!って思ってそれを表に出せる人がベストだとは思うんですけど、そんな人なかなかいないと思います

 

悪いところも表に出せちゃうなんて、それでも皆に好かれる自信があるって事でしょうか?

 

どれだけ自信あるんだい!って突っ込みたくなる様な人かなあ~

 

やっぱり、上手い話しには裏がある?んです!

 

人間も…

 

 

 

 

発達障害の親を持つ子供達の苦難


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発達障害って子供ばかりがクローズアップされる

 

発達障害の子供を持つ親が大変!」とか「子育てに凄く悩む」とか

 

でも、困ってるのは発達障害の周りの人達全て

 

その中でも親が発達障害であるその子供は自分が発達障害であろうとなかろうと大変なんです

 

子供にとって親は全て

 

親が常識

 

なのに自分の思う親とは違う

 

「自分の思う親という自分の中の物差しがおかしいのか?」はたまた「自分の親がおかしいのか?」そんな疑問が沸いて来るのは、相当自立してからかも

 

しかも、それを考えた結果「親がおかしい」と結論付けることは自分の考えを肯定すると共に親を否定する事になる

 

本当は否定じゃなくて認める事なのだけど、一度否定しないと自分の考えを肯定する事が難しいので、結果とりあえずここで親を否定する事になるのかも

 

どんな親であったとしても親を否定する事ってかなり難しい

 

コミュニケーションが上手くとれなくても、自分の聞いたことの答えが返ってこなくても、興味がない話には見向きもしない親でも、自分の話を納得いくまでずっと話続けてしまう親でも、自分が甘えたいのに逆に親から甘えられてしまっても…

 

どんなに信頼関係が上手く築けない親でも虐待されても信用したいし好きでいたいし、自慢の親でいて欲しいのが子供なんだと思います

 

だからこそ、とっても奇妙な事が毎日起こっていたとしても、明らかに周囲の母親と違うと思っても「自分が正しい!」って結論には至らない

 

父親が発達障害なら子供が母親とタッグを組んで「自分達は正しい」と結論付ける事は出来ても、母親となると接している時間が長いので本当に厳しいんです

 

20歳過ぎても、そんな発達障害の親に悩まされながら何が普通かを自問自答しながら外の世界や自分自身を否定して怖くなってしまう方達がいるのかもしれないなと

 

それって本当はもったいない!

 

外に出て自立してしまえば、凄く評価される人達なのに、外に出られない

 

今は過保護な時代だから、親がいつまでも関わってしまう

 

いつまでも子供に関わる親だったり、友達親子とか言ってどこでも着いてきちゃう親だと、外から見たら素敵に見えても子供の将来にとっては全然素敵じゃないかもしれない

 

やっぱりいい塩梅なんだけど、これって分かりにくいから、ついつい分かりやすく極端なものに飛び付いてしまいがち

 

親だって完璧じゃないし子供だって絶対にダメな訳じゃないって気がつくチャンスがあれば、子供達の息苦しさに手を差しのべることって出来るのかな?

 

親が発達障害ってとっても息苦しいんだけど、親が悪いとか親のせいじゃなくて、それでもそんな親が試行錯誤して育ててくれた事に感謝して、そんな経験も糧にして、自分の人生を生きていければいいのかも

 

自立すれば親子の問題なんて簡単に脱出できるけど、今は自立が難しい時代

 

子供達の道は前途多難だな

 

 

 

核家族の末の苦悩は社会に出るしかないのかな?

 

誰も悪くない!

 

とりあえず、皆外に出よう!