心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

健康的な生活の7ヶ月後

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pilatesno-1.hatenablog.com

 


健康的な生活をしてダイエットてみよう!って企画で、7ヶ月も経ちました

 

結果から言うと、5ヶ月から7ヶ月に掛けて、体重の変化はありません。初めてから約3キロ減を維持しております

 

年明けから誕生日やらバレンタインやらホワイトデーやらで、とにかく甘いものを食べて過ごしたこの2ヶ月

   

痩せるわけは無いのです

 

これだけ食べて太ってはいない状態に、なんとか踏みとどまったなあと誉めるしかない感じです

 

ただ、体脂肪率は確実に落ちています

 

始めたときから3%減

 

走る早さも、時速10.7キロ

週に3日ほど30分で5.2キロ位走ります

 

調子が良ければその後も少し歩いてトータル7キロ位かな

 

まあまあ頑張っています

 

食べ物の健康感はお菓子が増えて下がっているので、食事を記録する気持ちが継続しませんでした

 

一日のカロリーはたぶん2200calを超えているはず

 

いくら動いても、消費出来るのがギリギリなのではないかと思います

 

人間なかなか気持ちが続かないものです

 

ここで、食事をつけなきゃ!って思ってしまうとストレスがたまりそうなので、ひとつあきらめてみました

 

その代わり、体重と体脂肪率は必ず計ると決めました

 

出来る事を無理せず続けることも、精神的な健康を保つ上で重要かなと、いいわけです

 

 

ちなみに、この企画が2ヶ月位経った頃から地道に倒立の練習をしています

もちろん壁じゃない方を目指しているのですが、最近バランスがたいぶとれるようになりました

 

結構真面目なので、ジムで年配のフアンも出来ました

 

誰かの顔を見に行くだけでも、モチベーションとしては充分なので案外いいので、声を掛けてくれるそんな存在は本当にありがたいです

 

自分の健康維持だけは出来ていると思えるのは案外心の安定に繋がるなあと思います

 

ダイエットは心の安定を図らないと難しく、結果ダイエットをしていたから心の安定が図れているっていうなんだか不思議な感じです

 

まだまだ頑張ります

 

来月は少し痩せたいです!

 

 

pilatesno-1.hatenablog.com

 

 

器用な人は浮気性?かも…

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これこそ私の持論でしかなく、何の根拠もありません

いい悪いの議論はおいて読んで下さいね

 

 

先日、前の記事で書いた人をテレビで見ていて思いました

 

一人の人を一生愛する事なんて、この人には出来ないのではないか?と…

 

何かを極めた人って集中力とか瞬発力とか全然違う

 

気持ちの深さも持続力もまちまちだなあと感じます

 

一人の人とずっと一緒にいるとか、ずっと好きでいることは素敵なことかもしれないけれど、それ自体向いている人とそうでない人がいると思います

 

いいか悪いかではなく出来るか出来ないかだと思うんです

 

ずっと一人の人を好きでいられる人は、それだけ思いが強いのか?というと、もしかしたら逆に他の恋愛が出来る程の力を持っていない事だってあるんです

 

人を大切に思うか思わないか?というと、たぶん沢山の恋愛をする人でも一人一人を深く愛して別れた後も大切に思っている人はいると思うんです

 

なんとなくですが、器用で力のある人は短期間で深く人を好きになり、大切に思う人が多いのかもしれないです

 

それだけ人に対する感性があるのですから

 

男女も関係なく人が好きなら、それはそれへんに転がっている出会いでさえ突然の恋に発展することもあるだろうし、感度の強い人なら誰かの小さな魅力に取り付かれてしまうことはあると思うんです

 

だから、そういう人は単純に日本の法律にあってないんだと思います

 

不倫や二股がいいか悪いかというのは人間が決めたルールでしかないので、その人の人間関係がそのルールを破っても上手く行くならいいかなと思うんです

 

「不倫や二股を掛けると、人間関係がうまく行かなくなるのでやめましょうね」というルールが当てはまらない人もいるだろうし、本人とその周りの問題なので、他人がとやかく言うことでもないし、ましてやジャッジ出来るものでもないなと

 

とりあえず、この人には無理そう!って思ってしまいました

 

結局、あとから見たらこの人もお相手の人も力があるので妬みも凄かったのだと思います

 

上からものを言いたくなる人が沢山いたのかしれません

 

人間って難しくて面白いです

 

今、自分の楽しさを追及出来ていることが幸せそうで何よりだと思います

 

 

 

川谷絵音さんに興味が沸いた

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先日関ジャムでやっていた曲作り

1時間面白すぎて、いつまでも見ていたかった

あのメンバーのスペシャリスト感がゾワゾワするくらいかっこよかった!

お互いの緊張感と信頼関係と自信がそこにいるすべての人の全力を引き出す

 

たぶん、あんなもの一度経験してしまったらやめられない

きっと、また一緒に仕事がしたいと思うに違いない

 

お仕事って、そういうところがあるなあと改めて思う

自分や周囲の力が最大限に引き出されて、その時間で出来る最高の物が出来ちゃったりすると、お金じゃなくて評価じゃなくてただ満足ってだけで病みつきになる

 

そこにお金や評価が付いてくることもある

 

そんなの幸せに決まってる

 

だからやっぱりスペシャリストはスペシャリストが好きなんだ

 

スペシャリストって技術があるだけじゃだめで、自分も他人も信じて、相手の領域に踏み込まない人たちなのかもしれないです

いやー、寝る前にいいものが見れて満足だ

 

音楽はちょっぴりかじってただけですが、あの人のコードの使い方とか独特なんだなあなんても思いました

なんだか芸術です

ありゃ、やられます。。。

川谷絵音さん、私の中の印象は大して無い方だったのですが、俄然興味が沸きました

 

 

大人の体操教室始めます

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大人になってからトレーニングってしますか?

走ったり、歩いたりはするし、習い事で運動系の何かをやることはあっても、体操教室ってあまりない

 

強いて言えば、ヨガとか健康体操とかジムなのかな?

どちらかと言えば、女性がメインな健康とかダイエットとかボディメイクとかが目的のもの

 

私は今はジムで走っているけれど、元々走るのも歩くのも泳ぐのもそれ事態に目的が無さそうで好きではない

   

どこかに行くために歩くならいいし急ぎたいから走るのもありだし、お魚が沢山いるなら泳いでいたい

 

でも、何にも無かったら全然魅力的じゃない

 

私と同じ様な人って少ないのかな?

 

そんな私みたいな人も含めて、動くことに興味がない人が、大人になってからのトレーニングなんて何よ!って感じだけど…

 

発達性協調運動障害の方も、アスリートっぽい人も、体をコントロール出来れば全然違います

 

今の生活も競技のレベルも格段に上がります

 

これ、アスリートばかりに浸透させても勿体無い

 

一般の人にそんなトレーニングを落とし込んで生活を楽にしたいんです

 

やってみると、子供のうちなら無限の可能性が広がります

障害があっても無くても、アスリートでも運動が出来なくても、学生でも80歳でも、誰もが素敵な自分の未来が想像出来るんです

 

そんな思いで、大人のための体操教室を2021年春より始めたいと思います

感染症蔓延で動かなくなった体と頭のためにいい汗をかきに来てください

 

きっと、楽しく動けます!

 

mezase-no123pilates.jimdofree.com

高校生以上大人対象

そんな思いで、親子のための運動プログラムをやってます

 

小中学生親子対象

 

mezase-no123pilates.jimdofree.com

そんな思いで、発達障害やグレーゾーンの親子だけの運動プログラムをやってます

 

5歳以上中学生まで親子対象

めざせNO.1(土曜日朝クラスのみ)

 

 

運動が苦手??発達性協調運動障害


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運動が極端に苦手だった子供時代を経て大人になった人っていますか?

 

結構しんどい思いをして来た人もいると思います

 

昔は、今よりももっともっと外で体を動かしていたので、体を上手く動かせない子供達が日常の遊びで勝手に体を動かして周囲に遅れはするけれど何とか上手に動かせる方法を身に付けれる事が出来ていた

 

だけど、今や外で友達と駆け回って遊ぶ子供はとっても少ない

   

気がついたら、体を動かすことが苦手な子供達が勝手に出来るようになる機会を失ってしまったのだ

 

そして、「発達性協調運動障害(DCD)」なんて名前もつけて貰えたらしい

 

「なんで手がそんな動きになるの?」

「なんで指示と違う動きが入るの?」

 

って思う人達

 

どんなに頑張っても、周囲が笑っちゃうような動きになっちゃう人っている

 

この動きのせいで、学校でからかわれて運動が嫌いになっちゃう人がいる

 

この動きのせいで、縄跳びが出来ない子達がいる

 

この動きのせいで、自分に自信がなくなっちゃう人がいる

 

皆きっと出来るようになりたかったけど、出来る機会がどんどん減って、そんな人がどんどん増えた

 

困ってはいなくてもちょっぴりそんな傾向があるかも?!なんて人はいる

 

運動に関わる現場にいる感覚だと、発達障害とか発達障害のグレーゾーンと言われる人達の中で、この発達性協調運動障害にくくられる人はとっても多いイメージだ

 

そして現場にいると、この障害、障害という名前がついているけれど、上手に体を動かすことを根気よく繰り返す事で、生きていく上で支障がない位になるイメージだ

 

発達障害の過集中も手伝って、特化すればその特化したスポーツで一流になる要素も秘めている

 

そしてそして、体を上手に動かすことで、自分の気持ちをコントロールしたり、集中力が増したりして、発達障害の症状も改善される

 

筋力がつくことで、体の成長にも心の成長にも頭の成長にもプラスになっているんです

 

何度も言うけれど、これは、あくまでも現場にいる人間の感覚

 

でも、そう思う人は案外多いんです

 

もしそうなら、発達障害の子供達を含め子供達に与えなきゃいけない教育や環境って、今のままではいけなくない?

 

どうせ一律の教育なら、楽しく体を動かしながら遊ぶ時間を作ってあげて下さい!!

 

子供達に勉強じゃない学びの時間を沢山作ってあげて欲しい!

 

そうすることで発達障害者も減るし、アンガーマネジメントも出来るし、心が病んだ人間も減って、健全な社会になるのかもなあと思います

発達性協調運動障害…心当たりありますか?

 

私じゃ何も出来ないのかな…

 

そんな人達も一緒に出来る体操教室をやってます

 

 

mezase-no123pilates.jimdofree.com

 

そして、2021年4月より新たに「大人のための体操教室」始めます!

Balance upストレッチ

 

mezase-no123pilates.jimdofree.com

楽しみです

 

自己愛性人格障害者と結婚とか付き合うとか…


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我が家の夫も今はかなり自己愛性人格障害者的なんだけど、本人の中で上手く回っている時はそれほど分からなかった

 

今は私自身を改善しながらなるべく夫と対等な関係を保てる様に日々考えを巡らせている

 

いやー、成長させて貰ってます

 

今考えてみれば結婚する前から兆候はありました

   

実家に行ったら、両親は田舎で地域一番の高校を卒業した我が子の自慢、お友達の自慢

 

はっきり言って、関東の人間にとって田舎で一番の高校の価値なんて分からない

上を見たらキリないし、下を見てもキリがない

そもそも、高校なんて人生の通過点、ブランドにもステータスにもならない

その頃は私も寛容じゃないので、なんなんだろう?と思ってました

 

結婚式のスピーチでも親が就職先がいいとかボーナスの自慢

 

そこで競う人はいないけど周囲が自分の子よりスペックが上の人ばかりだったとしたら、恥ずかしくない?って聞いてみたかった

 

人と話している時、言葉の語尾を被せてくる話し方は、同意してくれているのかと思っていたけれど、そうでも無さそうでなんだかずっと違和感があった

 

会話の中の「~だと思わない?」とか「~だと思う」の部分を一緒に言うのに、内容を分かってない

 

疑問文の語尾を一緒に言うもんだから、聞いているのに回答が来ない

 

「止めて欲しい」と何度か言ったけど、本人に言っている意思が無い

 

あれ、人の意見を自分の意見にしちゃう技だったんだって今は思う

 

お金の使い方も、なんだか見た目重視やブランドが好き

 

洋服の趣味もちぐはぐ

自分の好きな服じゃなくて、いい服か?高いか?なんて所を重視する

 

結婚してから思うことは、とにかく謝れない

 

子供に手をあげる

 

注意したら、隠れてやるようになるし…

 

なんてところでしょうか?

 

でも、そんなにぴったり合う人はいないので、ずっと許せる程度だったかなあ

 

表情が豊かじゃないので、分かりにくくてちょっぴり怒っているのかな?って時も多いから、気を回して何でもやってあげちゃっていた事が長年続いたら、「やって貰って当然!」「用意する人」「ジャッジする係り」みたいな関係になっていってしまった

 

これが多分良くなかった

 

元々の見た目や他者評価重視の育ってきた環境と、表向きを整えてくれる奥さんがいて、カッコつけられる幅が増えちゃったのかも

 

カッコつけられる場所が増えるって、自己愛性人格障害的な人達にとって、バカに出来る人が増えるって事

 

本当は違うと思うんだけど、他者評価って「比較」のたまものなので、自分がカッコ良くなればなるほど他人はカッコ悪くなる

 

年齢が上がると体力も無くなって子供達の知恵もついてきて上からものを言う事もだんだん出来なくなってきた

 

劣等感を持つことも多くなって、気がつけば自己愛性人格障害者的な感覚が増してきてしまったのかも

 

最近は私がフラットな関係を模索して試行錯誤の日々だけど、夫自身が考えることはないので行ったり来たりの繰り返しです

 

まあ、完全に夫が変わることはもう天地がひっくり返っても無いだろうけど、家族の本当の価値だけでも気がついて貰えたらいいなって思ってるんです

 

難しいですけど…

 

ところで、自己愛性人格障害者的な…位なら猫の被り方も中途半端なので、結婚する前に違和感を感じる事も出来るけど、自己愛性人格障害者の場合はもっと分からない

 

なぜなら、見た目重視!!が完璧だから

 

カッコいい見た目、スタイル抜群のきれいな身なり、何でも出来るし優しい性格、もう非の打ち所がない

 

ロマンティックな告白やデートと誰にでも自慢できそうなハイスペック、「素敵!」と思って結婚してしまうなんて事はある

 

結婚してみたら、DVだ!パワハラだ!ストーカーだ!束縛だ!とか相手をバカにして貶したりしちゃうのに、素敵な結婚生活をアピール

 

こんなはずじゃなかった!って思うかも

 

でも、完璧な見た目や自慢できる素敵なデートっていう所が欲しくて付き合って結婚したとしたら、それって物凄く合理的

 

見た目だけの落とし穴ってとっても怖い

 

本当に見た目だけで良かったの?

 

本当に年収だけ良ければ良かったの?

 

本当にいい会社に勤めている人ならいいの?

 

ってのの答えが、結婚後に返ってくるのかも

 

こんなはずじゃなかった!って、そもそもそんなところ重視して無かったくせにって思うんですが…厳しい!!

 

自慢出来るだけの彼がいいなら、とことん見た目だけの幸せを追及してみちゃえばいいんじゃない?

 

全部SNSにあげておけばカメラが回っている間だけは幸せかもしれないしね

 

皆で一緒になって周囲をバカにしてるような家族もいるから、そんなのも家族完結型でいいのかも

 

完璧だから性格もいいはず!幸せにしてくれるはず!なんて相手に期待し過ぎてるって思います

 

人間都合良く出来ているので、相手は自分の期待通りに動くものだと信じて疑わない

 

そんな訳無いのにね

 

勝手に理想通りの相手を想像して、理想通りじゃないと騒ぎ立てて別れたり別れられなかったり…

 

そりゃ、人生で学ばないといけないのかもしれません

 

ちなみに、私は今になってあの違和感の理由を噛み締めながら、この自己愛性人格障害者的思考と共存出来ないか模索中です

 

若い頃は同じ価値観の人を理想としてきましたが、まあまあ繊細で神経質なので、同じ価値観の人だと繊細過ぎて、ビリビリしちゃうんだと思います

 

私自身とっても気持ちが不安定でした

 

あまり深く考えていない夫に会って、自分に優しくいれたのです

 

自分自身を好きでいられることの楽さに初めて気がついた瞬間でした

 

だから、私に対して上から目線でマウンティングしてくる時もあるんですが、最終的には放っておけるんです

 

自己愛性人格障害者的なんですが、それで気の毒なのは、多分私ではないのです

 

夫に競争心が芽生えれば上手く成長し合えるし、嫉妬心が芽生えたら無視すればいいのかも

 

過度な期待をせずになんとなく共存…なんです

 

自己愛性人格障害的なんて嫌だけど、なんとなく染まって生きていくのも共存の方法だし、嫌なところは我関せずでバカにされようが下に見られようが「あなたの意見で私の価値が変わることはありません、私の評価は高いです!」と思い続けてしまうのも共存の方法なんだと思います

 

コントロールしたいなら、多分コントロールはしやすい人達なんだと思うので、立場を保ってプライドを崩さずコントロールする手もあるのかもしれません

 

自己愛性人格障害的な考え方なんて人間誰でも持っています

 

今は世の中が全体的にそちら側に片寄っているのでしんどいですが、自分の中のバランスを上手にとることが、周囲のバランスを上手に保つことに繋がって、せめて自分の周囲だけでも片寄らない環境を作っていければいいのかもしれません

 

結婚…成長…バランス…

 

一生の課題です

 

 

 

 

自己愛性人格障害者って楽しめないから

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自己愛性人格障害者的な人達…

 

周囲に沢山いるので、観察しているのですが…

 

とにかく用意がずさん

 

なんでこんなにいい加減な用意をするんだろう?ってずっと思っていた

 

もちろん、周囲にやってくれる人がいるから!なんだろうが…

   

そもそも、何かをする時にそれを思う存分楽しもうと思っている人は、用意周到じゃない?

 

スッゴく分かりやすい例でいうと、バラエティー番組でのヒロミさんのDIY

 

技術はもちろん凄いけど、簡単に一人で出来る道具とか、無理な体制をし続けなくていい方法とか、そこらじゅうに楽をちりばめている

 

簡単に出来る技が、始めの一歩を踏み出すハードルを下げて「私でも出来るかも!」「テレビの前の君でも出来るよ!」と周囲を巻き込む雰囲気をかもし出す

 

何より、本人が楽しそうだ

 

辛い作業も楽になり、自分のやりたい事をかなりのこだわりを持ちながら楽しんでいる

 

なんだか使えそうだなと思う人はとことん使うし、いつでも他人の力を借りれるようにコミュニケーションをこまめに取る

 

連絡を取る相手はスペシャリストも多い

 

 

「いやー、やっぱり専門家は違うよね。これ、凄いよな。俺なんかさ……」なんて言葉を口にしながらやっているところなんか、相手をリスペクトしているなと感じます

 

でも、自己愛性人格障害者的な人達ってどうだろう?

 

自己愛性人格障害者的な人達が同じような事をするとしたら、自分で道具も用意せず、誰にも声を掛けず、番組の用意したスタッフと、用意したものを作る

 

上手く見えそうな自分と、引き立て役のダメダメなアシスタントを引き連れて、「やっぱり俺ってすごくない?」って感じになっちゃうのかな

 

「俺ってすごくない?」って見た目は楽しめても、本人も周囲もやっている事での発見も少ないし全然楽しめないんじゃないかと思うんです

 

これ、周囲の自己愛性人格障害者的な人達に凄い多いかも

 

自己愛性人格障害者達はとにかく見た目が大切です

 

見た目から入ることも大切だけど、それは最終的に中身も伴って意味がある

 

それがもし見た目だけだったら…

 

中身や本質を見ない人は、何を用意したら楽しめるか?なんて考えないのかも

 

自分がカッコ良く見えることに価値があって、中身が充実していることに価値がないなら、そこを自分から楽しむ発想は生まれないのかも

 

そもそも、自己愛性人格障害者は楽しいことをするから楽しいと思っている

 

そういう人達が他人に声を掛ける理由は、一緒にやってお膳立てを任せてしまいたいから…

 

誰かにお膳立てしてもらって、それが楽しいか楽しくないかを判断する係りをしたいってどれだけ上から目線なのか…

 

楽しくないなら、お膳立てした人やそのものが悪いってなるだろうし、そういう構図になると、周囲の人達はその人に楽しんで貰いたいとせっせと用意をする事になる

 

気がつけば、その自己愛性人格障害者的な人の楽しめるような場やものをその自己愛性人格障害者の顔色を伺いながら提供する事になるかも

 

その状態は絶対に楽しめない

 

ここでフラットな関係なら、「面倒だからやりたくない」っていうと思うけど、ちょっとでも力関係が働くと、いやいや一緒にいることになるのかも

 

自己愛性人格障害者的な人と一緒にいても労力ばかり使ってつまらない!」って思うひとつの原因かも

 

結局、辛いことも楽しいことも全部自分次第で楽しむことが出来る

 

楽しそうな人は、どんなことでも中身をしっかり見て用意して楽しめるし、何でも辛いと思っている人はどんなことでも本質とは関係なくパッケージを眺めながら、周囲の用意を期待して生きているのかも

 

「この人になんかやってあげる気がしないな~」「一緒に何かやると疲れるなあ~」とかって、そんなところから来るのかもしれない

 

どんなに大変でも、あっという間に時間が過ぎて、体が痛くなっても楽しめるような「事」じゃなくて、何でも楽しめる人が重要なのかもなと思います

 

自己愛性人格障害者的な人達は周囲に全てが揃っていそうなのに満たされないし楽しめない人が多い

 

不満ばかりだもの

 

AIには絶対に出来ない人の価値は、「楽しめる」事にあるのかもしれないな