心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

ポジティブな考え方の先にあるもの

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筋肉は壊して作るの繰り返し

 

筋肉痛があると「筋肉が出来てるぞ!」って頭で変換出来れば、ふふっと嬉しくなるなーんて人もいる

 

ムキムキの人で、ニコニコしながら「筋肉痛で…」って言ってる人は結構いる

 

それ、普通の人には考えられない

 

そ、痛みが喜びに変わる

 

まるで御産

 

「痛いけどしないと変な病気で死んじゃうかもしれない!」って予防接種を我慢したり…

 

「辛いけどこの治療で治るかも」と思って辛い治療に耐えたり…

 

人間どれだけポジティブなんだって思う

 

でも、やっぱり未来が輝いて見えないのにポジティブになるのは難しい

 

そう考えると、どんなに辛く苦しそうな状況だとしてもポジティブな人の未来はキラキラと輝いているのかもしれない

 

病気で余命宣告を受けているような人も、ポジティブに生きていればその人の未来は輝いている

 

だったら、可哀想とか周りが思うのってどうなんだろうって思う

 

筋肉痛と比べる私もどうかと思うけど「筋肉痛だー」ってニコニコしている人に「可哀想」って声は掛けないし神妙にはならない

 

どんな人でも、どんな状況でも、他人にはそんなスタンスでいいのかもしれない

 

それが、相手を尊重することだったり、相手の未来は輝いていると信じる事だったりするのかもしれない

 

競技等で結果が悪かった時に、軽くポジティブな声のかけられかたの方が気持ちが楽だったり、スッキリしたりする訳はそんなところにあるのかもしれない

 

スポーツをする人はMだなって題名で書こうと思ったら意外なところに落ちてしまった

 

面白い

芸能人は難しい!

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小さい時からチヤホヤされる芸能人

 

難しいなと思う

 

思春期の頃に誰もが隣の子と比較をして、影響され、僻んだり妬んだり、妬まれたりいじめられたりしながら、やっぱり自分は自分でいいんだ!って思って大人になっていく

 

その妬みや意地悪がクラス中、学年中、学校中、地域中と大きくなればなるほど、受ける傷は大きい

   

普通に生活している子で地域中の妬みなんかに発展する子は少ないかもしれないが、芸能人は日本中の妬みや意地悪にさらされる

 

そりゃ、その分応援してくれる人だっているけれど、否定の言葉は一つ一つ大きくて鋭い

 

地域中の妬みや意地悪だって立ち直るのに時間はかかる

 

それでも、私は私でいい!って思えるほどの自信や割きりは若いうちは難しい

 

多分、この時期を事務所が上手に見守ってあげないといけないんだろうなと思う

 

芸能人が自殺したり、薬物に依存したり、犯罪をおかしたり、色々な事があるけれど、精神状態をコントロールしにくい成長期を過ごす事の難しさを感じるな

 

小さい頃にある程度そこを構築出来る子なんて少ない

そこを構築してあげられる親や周りも少ない

 

ちゃんと育てるって何でも難しい

 

また戻っちゃうけど、そういう子供達を沢山育てたジャニーさんはやっぱり凄い!!のかもな

 

 

「自分の限界は自分で作る」って??

f:id:pilatesno-1:20210212081628j:plain自分の限界は自分で作るってよく言う

 

要するに「ダメだー、限界だ」と思った瞬間が自分で作った限界ということなんだけど、それとはちょっぴりニュアンスが違う限界を思った

 

いつも頑張って勉強していると思っていた人がいるとする

 

周りから見たら、大して頑張っているようには見えていないけど、本人は「凄く頑張った」と言う

本人としては「頑張ってるけど出来ない」という印象

 

こんな状況は親子で良くある

 

ある時、その人はどうしてもある試験にパスしたいと、寝る間も惜しんで勉強したとする

 

ご飯を食べながら覚えたり、お風呂にも教科書を持ち込み、良いと言われる暗記方法を片っ端から試したとする

 

その経験で、その人が試験にパスしてもしなくても、自分の時間の全てを使った限界の自分を獲得する

 

試験にパスすれば、そのやり方で良かったし、パスできなければ、やり方が間違っているか、自分の力を出す時期を誤ったかのどちらかなんだろうと思う

 

だって、もうそれ以上の頑張りは1日24時間の中では難しいと思うほど頑張ったのだから

 

そんな風に思えたら、その「限界を獲得した」という事実がその人の財産だなって私は思うんです

 

その自分の限界を基準に、前の自分を見てみたら、確かに頑張って無かったし、出来なかったのも当然だし、周りに言われていたことも仕方がないと理解出来るだろう

 

その事柄がその人の人生でキーになる出来事になるだろうし、その頑張りを見ててくれる人や前の自分を振り返って成長に気づかせてくれる人は、親でも先生でも友達でもきっとその人にとって掛け替えの無い人になるのだろうと思う

 

これは、勉強だけではなくてスポーツや人間関係でも同じ

 

どこかで、自分の身体や心や頭をMAXまで使った経験は、それからの人生で必ず生かされる

 

だから何かをやり遂げるには体力が必要だし、色々な事を突き詰めていくことや、子供の頃にスポーツをする事で頑張るとか試合までに頑張る事が大切なのかもしれない

 

好きじゃなきゃ、MAXまでやることも難しいし「結果がどうであれその過程が素晴らしい」なんて思えない

 

好きなことを自分の限界まで集中力を上げてやってみる経験を大人も子供もしてほしいと思う

 

子供の頃に、そんな自分の限界を少しでも獲得出来たなら、その子は物凄い人になるに違いない

 

そしてまたいつか、その限界をも越える日が来るだろう

 

ちなみ、今の時代はそんな限界を獲得している人は少ない

 

「もう限界だ!」「出来ない!」なんて簡単に言ってしまう大人も子供も多い

 

私は、他人の「もう出来ない」とか「もう限界だ」とかを聞いたとき、その言葉を発したところがその人の経験なんだ!と思う

 

限界が早ければ、その人はそこまでの経験しかしたことが無い人だろうと理解する

きっと、他の事でも限界は私の思う限界よりもかなり近くにあり、チャレンジの仕方も努力についても私とは価値観の合わない人だろうと思う

 

親の価値観に添う形で、その限界がどこにあるかも分からない子供達も沢山いるし、限界を自分で獲得する経験なんて、最近はその辺に転がってはいない

 

知識ばかりあっても、経験でしか得られない事は沢山ある

 

すぐに諦める子、競争心を持てない子、頑張る意味も分からない子、夢を持てない子が増えている事は、もしかしたらそんなところから来るのかもしれないなと思った

 

そんな人達がすでに大人になって、子育てをしている

 

無限に広がる自分の可能性は、自分の今までの限界を越えた瞬間にあると私は思う

 

そんな経験が一生のうちに一度でも出来れば良いよね

 

実は先日そんな瞬間を見ることが出来た

 

あの年齢であの集中力と精神的なコントロールの仕方が出来たら凄い!!

圧巻だった

 

ありゃ、大物になるわ

 

ジャニーさんって、子供達か限界を越えるお手伝いをして、その未来の可能性を引き出した人なのかな?なんて思う

 

私も自分の限界を越えた限界を作るお手伝いをちょっぴりしています

 

最近の子の限界は低いので、そんなに大変な事では無いですが、その辺に転がってはいないので、やってみると本当に面白い

 

子供も大人も未来が輝く瞬間に目の色が変わります

 

ワクワクするって大切です

 

 

親子で運動プログラム「めざせNO.1」

https://mezase-no123pilates.jimdo.com/

取り巻き達が幸せをアピールする

f:id:pilatesno-1:20210212081752j:plain以前いた自己愛性人格障害者の率いるグループ

 

そもそも、私がそこを選んで入った訳じゃない

気がついたら、そのグループに振り分けられていた

 

今は脱出して、平和に暮らしている

とにかく、楽しいし幸せだ

 

たまに以前いたそのグループの人達と会う

 

全然羨ましいなんて思わないし、嫌な思いをしてでも脱出して良かったと心から思っているのだが、なぜだか取り巻きやその子供達は「今もそのグループにいて幸せよ」と私にアピールしてくる

 

直接言うのではなく、私が一人の時に近づいてきて何人かで楽しさアピール

 

??

 

そんなに私が楽しそうで羨ましいかい??と逆に思ってしまう

 

なぜ、そこまでしないといけないのか??

 

自分はここでいいんだ!なんて確認は自分で完結させてほしい

 

私に認めてもらわなくたって、幸せ位感じられるでしょ!って言いたくなる

 

取り巻きは自己愛性人格障害者の手足

 

どんなに寝返ったって大っ嫌いな、優柔不断で中身の無いつまらない人達

 

幸せをアピールされても、興味も湧かないのに毎度やめてほしい

 

なんなんだろ??あの行動


そうやって自分が幸せだから相手は不幸って構造を作って自分に納得したいだけなんだろうけど…


私はもう知っている


誰かが幸せならその他は不幸な訳じゃない


誰かが出来たなら、必ず誰かは出来ない訳でもない


比較して上下を競っている人には考えられない、「皆が幸せ」ってことや「皆が出来る」って事がある


だから、あなた達がいくら幸せをアピールしようが、私は幸せ!


あなた達がいくら出来ても、私は出来る!


そして、私が「幸せ!」と思ってニコニコしていると、私に近づく度にあなたたちは「不幸」を感じる



私はあなた達が不幸なんて一言も言わないけれど、あなた達が上下を競う限り、私の近くで不幸を感じる


その不安やモヤモヤはいくら幸せをアピールしても消えないよ!


だって、あなた達の中でどんどん膨らむ風船のようなものだから


空気を入れているのは自分なのに、それにもずっと気がつけないんだろうな

ジャニーさんってやっぱり凄いな

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ジャニーさんが亡くなって、ジャニーさんの凄さが分かる日々

 

その時代のアイドルを作ってきた人で、要するに時代を作った人だったんだなと改めて思う

 

あのひらめきと行動力が本当に素敵

 

日本にそんな人がいることを誇りに思えたりして、なんだか不思議な存在感

 

あの人の後を継ぐと決めたタッキーとそれを託したジャニーさんの関係が素敵過ぎて、これからが楽しみだなって思う

 

ところで、私の近くにもジャニーさんみたいな人がいる

 

本人も周囲も全然そんな事は思ってもいないだろうけれど、私はその人の人を見る目や対応の仕方が物凄く好きだ

 

気さくな雰囲気だけど、その辺にいる人とは全く違う

 

そのうち、スッゴい人を育てるんだろうなと思う…

 

ジャニーズの人達もそうだけど、出会いにも感謝、見初められて声を掛けられる事も感謝

 

ジャニーさんに向けられた言葉が、温かくて幸せな気分になれた

 

きっと、どんな人でも出会えた人には感謝

 

被害も失敗も加害も成功も、全てが自分だから、全部吸収して未来の自分に繋げれば、結構カッコいい大人になれそうな気がする

 

スッゴい人にはなれないけれど、出来ることをやってみよう!!なんて、ジャニーさんには全く関係無いけど、まあいいか

先生を敵にはしたくないけど味方につけるのも面倒

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子供がいじめにあったとき、親としてどう動くか迷う

 

先生に解決してもらおうとするのだが、先生になる人にいじめの構造やいじめられた被害者の気持ちを分かってもらうことは大抵は難しい

 

なぜなら、先生という職業を選べる人はいじめなんかにあって学校に居場所が無くなるような経験をした人は少ないだろうから

 

でも、やっぱり先生しかいないのだ

 

なんとか先生に分かってもらって解決の糸口を見つけたいと親は思うだろう

 

そのために、先生と対立関係になってしまうことは避けたい

 

先生を敵に回してしまうと、被害者vs加害者の構造の加害者側に先生がついてしまうことになる

 

加害者には自己愛性人格障害者が多いのだから、周りを取り繕ったり良い子を装うのはお手のもの

 

先生だって、操作されてしまう場合も多い

 

上手く先生を味方につけるには、被害者が面倒臭い親子になってしまわない様に、先生の力量を確かめながらの対応する事を親はせまられる

 

これは、本当にしんどい

 

子供のプライドや心や命を守りながら、先生のプライドと力量を守ってあげないといけない感じになる場合もある

 

はっきり言って苦痛だ

 

先生の力量が無さそうなら、無駄な努力はせず、さっさとその学年を諦めた方が良いのかなと私は思う

 

どんなに話をしてもちんぷんかんぷんな先生はいる

 

そこで名前を出したらもっと状況は酷くなりそうと思うようなときに気がつかずに名前を出して注意をしてしまう先生はいる

 

結果、いじめの加害者に情報提供をして、材料を垂れ流ししているような教師が、被害者を心配して家庭訪問しているなんて事は良くある

 

そうなったら確実に先生は加害者側だ

 

しかも、自分が加害者だなんて気がつかない鈍感さ

 

被害者が学校に行けないなんてシャクだけど、その先生に解決は出来ない

 

その学年を諦めて、クラス替えを待つ位しか解決の糸口は見られない

 

それでも、現実は学校を諦めることさえ簡単には許されない

 

先生達のプライドが学校を諦めた子供達の行き場を狭める

 

フリースクールは認めない

フリースクールへの交通費は通学定期として認めない

フリースクールの出席は出席扱いにはしない

前例の無いものは認めない

 

そう、学校以外の所に学校と同様の価値を持たせるなんて認めない

 

国からフリースクールを認める方向でお願いしますと言われる中でも「前例の無いものは認めない」なんて普通にある

 

地方では先生や学校がまだまだ偉い

 

ショッピングモールに平日の昼間にいる子供の数が1学期が終わりに近づくにつれて日に日に増えていく現状が、学校を諦めた親子が沢山いることを物語っているのかも

 

先生を味方につけるなんて難しい

分かってもらいたいかもしれないけれど、分かってもらうのは相当難しい

分かってもらっても解決はそれより遥かに難しい

 

認められてなくても特殊でも、解決出来なくても、子供がちゃんと育てば、先生なんて味方につけなくても良いのかも

 

逆に先生に分かってもらえたなら、それは幸せだ

 

そんな先生にはなかなか巡り会えない

 

素敵な先生に出会えた事に感謝して、少しずつ前に進めばいいのかもしれない

 

 

学校の先生はいじめを知らない

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学校の先生になろうとする人は、多分いじめに合ったことなんて無いだろうと私は思っている

 

だって、学校が楽しくなく苦痛だったのなら学校の先生になりたいなんて絶対に思わないだろうと思うから…

 

いじめられたことがないし、いじめに気がつく人達ではない人が学校の先生になり、いじめ問題に対応する

 

そんな集団にいったい何が出来るのだろう??といつも思ってしまう

 

学校がいじめ問題に対応出来ないというニュースがあると、学校に対応を求める事への絶望感を覚える

 

方やいじめ問題を取り扱う人達は、学校の先生とは全く違う人達だ

自分もいじめに合ったことがある被害者である場合も多いし、自分の子供が被害者であったからこそ、そこに関わっている場合もあるかもしれない

 

学校や先生に対するやるせなさを持ちながら、どうすればいいのか悩みに悩んだ経歴を持っていて、その後どこかで子供達のサポートに回った人達なんじゃないかと思う

 

これ、いじめも不登校も同じ

 

学校が居場所にならない子供達に、学校が楽しかった子供時代を過ごしている先生達が対応する事の難しさ

 

先生が解決する事は不可能かもね