心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

私の頭の中を垂れ流し

休憩

このブログ、私の頭の中を垂れ流している

日々、人を見て思った事や考えた事を文章に綴る

書きながら紐解ける物があったりして、自分でも面白いなと思っている

 

昔から書いて整理する事は多い

 

悩みなんて意外と堂々巡りで、どうしようどうしようどうしようって何時間も同じ事を考えていたりする

 

どうしよう!

 

一度書いたら数秒だ

 

これに2時間も掛けたら馬鹿だろうと思った

 

だから、頭の中が混乱したら書く

 

もしかしたら数行で終わる事で頭の中をいっぱいにしている可能性がある

 

紐解けたら、次に移れる

 

そうやって、入ってきた情報を処理している

 

たぶん、外から受け取る情報量の多さはずば抜けている方だと思う

なんて自負しちゃう?!

 

ただ、これを処理する速さが無ければ、結局宝の持ち腐れだ

 

一歩間違えれば、精神的に病んでしまう

 

自分の情報量に最適な処理能力が身についてこそ、バランスを保てると思っている

 

もし、そのバランスに困っている人がいたら、やってみたらいいと思う

 

私の頭の中を覗いて興味を示してくれる人がいたら、なんだか面白いなと思う

ブログってこんなものなのかな?

読んでくれた人、ありがとう!

繋がりに感謝します

幸せそうな人

幸せそうな人は実は壮絶な人生を歩んでいるのかもしれない

 

私が出会う幸せそうな人は、とにかく色んな経験を踏んでいる

 

この平和な日本で生きるか死ぬかの中を歩く事はそうそう無いであろうにもかかわらず、そんな経験を何度もしている様な人達が、心が深く魅力に溢れとても幸せそうである

 

人は、どん底が無いと今ある当たり前の事を素敵だとは思えない

 

平坦な人生を過ごして、それを感謝出来る程出来た人間なんてなかなかいないのかもしれない

 

「いつも元気ね、悩みなんかないでしょ!」なんて言葉を人に投げることが出来る人のなんて浅はかなこと

 

大抵そんな人の悩みは大した事はない

 

まあ、悩みが無いことだって悩みになる事もあるだろうし、悩みの無い人がいると思っている時点で人をバカにしているのかもしれない

だって、隣の芝生が青にしか見えないのだから

 

小学生の私にはただただ気分悪い言葉で良く分からなかったが、今ならそう思える

 

人の幸せを嘆いたり羨んだりする人に、他人の人生を讃えたり尊敬する気持ちは存在しない

 

輝いてる人には理由がある

 

輝いてる人のバックボーンが感じられない人は、輝いてる様に見せる人で充分だ

 

輝いてる人と輝いてる様にみせる人の違いがよく分からないと自己愛性人格障害的な人に騙されてしまうかもしれない

 

見た目だけの幸せ

 

本当に幸せそうな輝いてる人達はやっぱり中身も尊敬すべき素敵な人だ

 

私も輝きたいなら、まだまだ色々な経験が必要なのか?

いやーとりあえず今は勘弁願いたい

もうお腹いっぱいだ(笑)

人が楽しそうなのを妬む人の心理

自分が入ってないところで楽しそうにしている人がいるとイライラする人がいる

 

笑ってる人や幸せそうな人をずっと睨んでいる

 

自分以外は楽しんではいけないなんて…

 

いったいどんな心理だろうか?

なんて考える

 

まず、この人はどんな人だろう?と考える

まあ、幸せでは無いことは確か

自分が幸せでは無ければ人の幸せを喜ぶ事なんて出来ない

 

そして、自分と人とをいつも比べている

誰よりも幸せなら、自分は幸せなのだ

狭いコミュニティーの中で一番を目指す

これは結して本物の一番ではない

一番の特別扱いを望むのだ

もちろん、自分よりも下の人を馬鹿にする

 

 

この人はこの日意気がっていた

自分の結果が良かった事で周りをバカにしていた

 

私には、自分の結果が良いからと周りをバカにする心理がなかなか理解出来ないのだが、これが自己愛性人格障害的な考え方の大きな特徴なのかもしれない

 

自分より下の人を馬鹿にするため、自分が下になった時にあたかも周りが自分の事をバカにしているかの様に感じてしまうのだ

 

自分よりつまらなそうな人を可愛そうねと思っている事で、自分より楽しそうな人が自分の事を可愛そうだと哀れんでいるのでは無いかと感じる

 

何でも比較して負けると相手がバカにしていると感じるのは、相手が馬鹿にしている悪いやつなのではなく、相手をそう感じる自分の考え方が捻くれている

 

なんて、絶対に思うことはない

 

最近、この人の視線が痛すぎる

遠くから睨んでいる

もちろん近くでも睨んでいる

 

ふと気が付いてずっと睨まれていたのかと思うと、念が来そうで振り払う

 

ということは、私が幸せそうに見えると言う事なのか?

なんて、私も楽観的

 

自分の物差しが無いことは本当にしんどいけど、この考え方が変わることは無い

この人はずっとしんどいし幸せにはなれない

 

 

必ず出来ると確信出来る人

何でも出来る人は、必ず出来ると確信している

出来ないかもしれないけどやってみる、なんて事はしない

ここは出来る人と出来ない人とでは全く考え方が違う

出来る人は、出来るところから、逆算して今現在までの道のりをイメージすることから始める

その道に人の知識が必要なら他人の手を借りるし、失敗しても軌道修正して、今自分がどこまで行っているのかを確認しながら、着々と前へすすむ

その道のりを信じて疑わない 自分を信じて、相手を信じて、前へと進むのだ

その方法を出来る大人は教えてあげて欲しいと思う

縄跳びが出来たよ!

f:id:pilatesno-1:20210209103818j:plain小学校生活は運動ができずに終わってしまっただろう子でした


たぶん、体育も運動会もずっとずっと憂鬱だったと思います

できないから仕方がないんだと諦めて、何かに頑張る事もできずにいた感じでした

 


彼女は、お母さんに連れられて「ピラティス」の教室に来ました

初めてのピラティスは、たぶんびっくりするほど体が動かず、ショックだったのかもしれません

途中涙を流しながら、声もほとんど出さず時間だけが過ぎていきました


その日私はその親子に「めざせNO.1」を薦めました


ピラティスは中学生までの子には楽しくないので、楽しく動く事の方が大切かなと…

 


あれから半年が過ぎました

 


「めざせNO.1」でみるみる変わる自分にワクワクしながら、毎週通っています


階段も降りれないほど運動ができなかった事が嘘のように動く事が楽しく、やれば出来る自信もついて、努力することやチャレンジする事の楽しさや勇気が自分の中にある事を知れたような感じが伝わってきます

 


冬になると毎年憂鬱だった縄跳びが出来るようになりました

 


目標に向かって頑張れるようになりました

 


これからが勝負ですが、助走はバッチリです

 


このまま突っ走って欲しいなと思います

 


やれば出来る子がいつまでもやらなければできない子なのです

我が子がやる時を見てみませんか?

 

親子で運動プログラム「めざせNO.1」

 

 https://mezase-no123pilates.jimdo.com/

クレプトマニアって知ってた?

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クレプトマニア(窃盗症)って私は知りませんでした

要するに、窃盗のドキドキ感や高揚感に依存する人達らしいです

 

万引きの再犯なんかはそんな人が多いのかもしれません

 

そこに依存しなければならなかった寂しさやストレスのかかり方には同情するものの、なんとも迷惑な依存性の一つかもしれません

 

我が子の物がなくなったり、我が子のロッカーに他の子の物を入れたりされる嫌がらせが何回かあったのですが、やられるタイミングややり方から、誰がやったかは想像がついてはいるんです

 

ただ、その子にそれ程の罪悪感が無い感じを受ける事と、なんだか手慣れた様子に違和感を持ちました

 

嫌がらせとしてただ相手が困った顔をしているのをみたいのでは無く、自分の満足のためにやっているかのような感じが気にかかりました

 

子供だから、負けた相手に意地悪するような事はよくある事です

 

でも、それだけではないとなると、その子のプレッシャーのかかり方や心の叫びがなんだか気の毒です

 

そして、これがだんだんとエスカレートしていく可能性を秘めている問題なのかもしれないと怖さを感じます

 

今は、人の物を移動する事や隠すだけですが、そのうちお金やその人の大切な物に手をつけるようになった時に、その子はどうなってしまうのかと思うと、切ないなと思います

 

親はまさかと思っているでしょうし、そもそも子供のストレスの原因は親にしかありません

いい子でいて欲しい要求が物凄く強い事が想像出来ます

 

誰がやったか特定できない物を、その子にも親にも言うことは出来ないですし、ましてや犯人探しをする気もありません

 

でもきっと、自覚するのは今しかないんだろうな…

早くしないと、とんでもない事になるんじゃないかななんて想像は出来ます

 

まあ、被害が酷くならないように気をつけるしか無いんでしょう

 

我が子がもしそんな依存症になったら、ショックだろうと思う

どうしたらいいのか途方にくれそうだ

 

依存症だから、盗みたい訳でも欲しい訳でも無い

何かに依存しなければならない心の問題だが、もしそうなった時に親として自分に向き合えるかと考えると自信が無いな

 

ほんと、心が病むのは、体が病むより厄介だ

悪いストレス解消方法は癖になる

ストレスの解消の仕方は人それぞれ

 

何かに打ち込んだり、友達と遊んだりだったら健全だが、悪口を言ったり意地悪したりなんていうのもストレス解消の仕方の一つ

 

悪口を言ってる時や意地悪をしている時の脳はまるで麻薬をやっている時のようになっている

 

その刺激は無くなると欲しくなる

 

人を攻撃する一方で自分自身をも攻撃し、自身の見た目も中身も老けさせる

 

万引きや窃盗なんかも同じだ

 

だから、寂しくなったりストレスがかかると、万引きをしてしまったり人の物を取ってしまう人もいる

 

これはもう癖で、ストレスがかかるとその方法でストレスを解消するしかないと体が動く

 

悪い事だと分かっていても止められない

 

悪口でストレス解消をする方法は親がやっているかどうかだから、親の責任

 

万引きや窃盗は、そこまで追い詰めるほどのストレスのかかり方が問題

窃盗症とか…

 

ストレスに強いとは自己評価が高い事だから、そこには自己評価の低さが存在する

 

子供の頃にそんな癖がついてしまうなんて、可愛そうだなと思う

 

毎回、何かがある度にやられるのは本当に迷惑だ

 

もっといいストレス解消方法をみつけないとその癖が治らないことを自分で認識しないと先には進めない

 

親からのストレスが物凄い高いだろうから、親に分かってもらわないとなんとかならないんだろうけど、言える親子関係ではないのかもしれない

 

なるべく近づかない

なるべく物を外に出しておかない

 

周りは、そんな対処法で相手がそういう気持ちにならないようにしてあげることしかできない