心と身体とピラティスと運動

倉敷・早島でピラティス教室と親子コーディネーショントレーニングしているインストラクターの頭の中を整理するブログ

子供が言うことを聞かないのはお前の問題?

子供が言うことを聞かない

思い通りに動かない

そりゃ反抗期だから仕方ない

反抗しても絶対に愛してくれるという信頼感の元、子供は反抗してる

 

親の事をなめているから反抗してるのではない

バカにしているから反抗しているのではない

 

でも、自己愛性人格障害者は言う

「お前がバカにされてるから言うことを聞かないんだ」

「俺の言うことは聞く」

「俺の言ったことはきちんとやるのにお前の言うことを聞かないのはおかしいだろ」

 

なぜ自己愛性人格障害者の言うことを子供は聞くか?

怖いから

後で何を言われるか分からないから

罵声を浴びせられて傷つきたくないから

 

確かに、子供は自分の言うことには文句を言う

言っても大丈夫だと思って言っているのは分かっている

反抗期だから、自立思索中だから

 

ただ、心のどこかで凄いと思う

パワハラという圧力を使って、恐怖で動かす方法でも子供は動く

そうして言うことを聞くことで出来るようになることも沢山あるし、効果もある

分かることもある

手っ取り早い

 

自分にはそれが出来ない

「お前がバカだから子供がなめて言うことを聞かない!」

なんて、とんでもないパワハラにもその時はそうなのかな?と思ってしまう

 

でも、これも立派な人格否定

 

子供の前で言うことで、片親の評価を下げる

バカな親のせいでバカになると子供と一緒に言うことで、子供を自分と共に立派な加害者にして片親を追い詰める

 

「自分が出来ないのはダメな親のせいだ!」なんて恥ずかしい理屈を正義だと思い込み振りかざす

 

いない時は平和なのか?

いない時は何も言うことをきかないのか?

何も聞かない訳じゃないけど、もう少し聞いてくれたらいいのになあ~

 

自分だけじゃダメなのかもしれないけど、パワハラで動かしたってどうにもならない

 

やっぱり加減が大切

 

多分どっちも必要だけど、やっぱりパワハラは即効性があるけど使う代償は大きい

 

いつか気がつくのか?

それともいつか同じ事をするのか?

 

共存しながら上手に使う方法を知りたい

 

#自己愛性人格障害者 #お前のいうことはきかない #母親をバカにする #お前のせい #自己愛性 #人格障害 #反抗期 #子育て #言うことを聞かない #パワハラ

自己愛性人格障害者と自己愛性人格障害者でうまく行く

自己愛性人格障害者がいるところに自己愛性人格障害者が入ってくる際、その存在を脅かされそうになると物凄く対立する

 

逆に今の位置を引き立ててくれそうな自己愛性人格障害者とはとってもうまく行く

 

自己愛性人格障害者は上下関係を重んじるので、絶対に勝てない相手とは戦わない

後から入ってきた自己愛性人格障害者は取り巻きとしてしっかりとサポートにまわりながら恩恵を受ける

取り巻きは判断を全てリーダー自己愛性人格障害者に預けてしまうので、外から見たら理不尽だと思う事でも何も考えずに従う

 

いやー、意思を持って生きている人には出来ないなと思う

 

自己愛性人格障害者にはやっぱり自己愛性人格障害者なんだ

 

親子も親が自己愛性人格障害者なら子供はしっかり自己愛性人格障害者になる

 

どんなにその時子供がいやがっていても、所詮根本的考え方は受け継がれる

 

うまく行けば、それはとても素敵な師弟関係だったりするけれど、中身は自立できない依存関係

 

ほんと紙一重だなあと感じる

 

人間はひとり1人自立している

手足が他人とは別々なように頭も考えも別々

子供の考えていることも親だからって全てが分かる訳じゃない

もちろん、子供が何かを決める時に親の意思を反映させることはあるけれど、最小限にしないといけないなあと改めて思う

 

問題山積みの自己愛性人格障害者と問題山積みの自己愛性人格障害者がとてもうまく行っているのを見て、周囲に害のないいい関係だなあと思った

 

目には目を?自己愛性人格障害者には自己愛性人格障害者を?って感じかな

 

#自己愛性人格障害者 #取り巻き #うまくいく

器用な人の過ごし方

「器用な人」って聞いてどんな人を思い浮かべるかと言えば…

 

・何でもそつなくこなす人

・運動が出来る

・勉強が出来る

・周囲と上手にお付き合い出来る

 

これにプラスして、

例えば、書道、絵、歌、ダンスのどれかが上手だったりすると、おっ!って思うかも

 

器用な人の共通点は、感性が豊かなところ

同じものを見て、色々な事を感じとるから何でも出来る

出来るツボ!みたいのを見つけるのが上手

 

そんな彼ら心はとっても繊細

 

感じとることが多いということは、要らないものも受けとる事が多いということ

 

そして、出来ることが多いし、興味を持つものも多いので、沢山の事をやりたがる

 

ただでさえ情報量が多いのに、自分から情報を取りに行く

 

頭の中は放っておいたらごちゃごちゃしちゃう

体力だって普通の人よりもいる

 

繊細な人は体力が無いイメージがあるけれど、体力があっても無くても沢山の力を使っているのかもしれない

 

沢山予定を入れると余裕がなくなるからイライラするし、キャパオーバーの情報量は処理できないので、きちんと整理してきちんとお休みしなきゃいけないのだ

 

時間の余裕があれば許せる遅刻も自分がギリギリだと許せない

 

子供のやる気スイッチが見つからない時も、いつもなら放っておけても余裕がないと焦って物で釣ってしまうかも

 

人間に与えられた時間は1日24時間

 

時間は大切に使わなきゃいけないけれど、1分も無駄にせずにカツカツに動いていたら、疲弊してしまう

 

器用な人は、自分の体力と相談しながら、自分が思っているよりもゆったりした時間配分で整理整頓して過ごすことが心を健康に保つコツなのかもしれない

 

ちなみに…器用で鈍感な人がいたら最強だ

そんな人も世の中いる

あれは、すごい!なーんて思う

 

なんて思います

#器用な人 #過ごし方 #敏感な人 

やりたいと言いながらやらない人

毎回「私これやりたいと思ってるんだよね」って言いながら何もしない人っている

 

そういう人のそのやりたいを聞いてみると、びっくりするくらい中身がない

 

そもそも具体的じゃない

 

何か新しい事をする時はそれをする場所や費用、季節や時間、用意するもの、教えてくれる人がいるのか?なんて事は調べる

 

毎度「~みたいなのカッコ良くない?」とかだけだったりすると、別にやりたい訳じゃないのね~と流す自分

 

話題作り?

それとも、私ってこんなことにも興味があるのって自慢してるのかな?

ただの口癖かな?

 

中途半端な知識や興味は自慢にはならないし、そんなものを自慢したら痛い

 

なんなら「ちょっと興味あるんだよね」って言葉に置き換えてほしい

 

あの生物ちょっぴり苦手

怒っている人にどうしよう?(親子喧嘩偏)

事あるごとに怒ってくる人っている

 

ちょっと距離の遠い人なら離れちゃえばいいけど、近い人だとたまらない

親子はね、離れられない

まあ、私もそんなに対応が上手い方ではないが…

 

イライラを感じるストレス耐性は遺伝するし、中でも日本人のストレス耐性は低いそう

 

ちなみに、私は穏やかで「怒る事ってあるの?」って周囲から言われるけれど、ストレス耐性は低いと自己判断している

 

では、外ではあまり怒らないけど家で物凄く怒っているか?というと、そうでもない

 

外でもほどほど、家でもほどほどだと思う

昔はただ我慢ばかりしてストレスを溜めていた

ストレスはただ漏れていて精神的にも崩れる寸前の自分を人のせいにしたくない一心で保っていた

 

でも、沢山ここに書いて整理していってるうちに「ほどほど」になってきた

 

現在私の子供たちがイライラして怒ってばかり

 

近いので、ぶつかり方も激しい

親族なので容赦がない

わがままを分かって欲しいといわんばかり

行動も伴わないのに怒りだけぶつけてくる

こちらも逃げ場が無い

 

こんな場合どうしたらいいかなあ

なんて考えるようになっているのもやっぱりちょっぴり落ち着いて来ているのかもしれない

 

まず「聞いてあげる」なんて言うけれど、はっきり言って怒っている人の言い分なんてめちゃくちゃなので聞きたくない

 

そこはストレス耐性が高い方では無いので…

 

では、どう考えよう!

こちらの脳がイライラで働かない状態にはしたくない

そして、相手に言われるばっかりは嫌だ!

 

そんな思いから、私の場合、言いたいことは出来るだけ言ってしまう

もちろん出来るだけ怒らないで

 

その上で、相手の話を流す

ムカつくけど…

 

反論するのは、火に油を注ぐような物だと言う人もいるけれど、親子の場合、上司でもなければ喧嘩したら縁が切れてしまうわけでもない

 

なので、言いたいことは言う

喧嘩になってもゆっくりした口調で言い返すのは、自分がイライラしないため、我慢しないために大切だと思っている

 

同じ土俵に立ってはダメだと言われても、言われっぱなしで我慢できるほど大人じゃないのかもしれない

で、最近は最後に「あなたはどうしてもらいたいの?」と聞くようにしている

 

すると、怒っても他人が出来ることは限られているという結論に子供でも至る

 

そんなもんだ

 

イライラしている原因が私にある場合もあるけど、大抵は怒りをぶつけられる人に原因は無い

 

イライラがキャパオーバーになったところで当たりやすい親に向かっているだけなんだ

子供の場合、予定の見積りが甘いので、思い通りに行かないイライラが主な気がする

 

例えば寝坊で遅刻して「ママが起こしてくれないから悪い」ってなっても、今から行くしかないし、母は学校に「遅れます」って電話するくらいしかない

 

子供がジタバタして「車で送ってあげようか?」って言葉を待っていても絶対に言わない

 

子供から言ってきたら、こちらのそれ相応の条件を飲む場合のみ送る

 

そうしていると、子供はそのうちジタバタして怒りに任せて怒鳴っても逆効果だと気がつく

 

自分が寝坊してもママのせいにして送ってもらえばなんとかなると思っている目論見が上手くいかないからイライラしている事を本当は子供に気がついて反省してもらいたいけれど、はっきり言ってそんなことに気がつかなくてもいい

 

私としては、その「ママのせいにする」というところだけをこちらで引き受けなければOKだ

 

そこは、言い返してでも引き受けない

 

そうしていれば、ギャー!とはなってもそのうちフェードアウトする

最後は自分の思い通りに行かない部分を宙に浮かせてその場から逃げたとしても、こちらで引き受けなきゃ持って行くしかなくなる

 

「寝坊して」と言わず嘘をついたとしても、その嘘は自分でついた嘘だから面倒だけどずっと嘘をつき続けなきゃいけなくなる

 

嘘つくの面倒だなと思ったら寝坊したと言うだろう

 

責任を誰かに押し付けないで生活していると「ママが起こしてくれなくて」なんて皆の前で言ってしまう事がカッコ悪い事にも気がつくのは早い

 

自分が何が嫌なのか?

何だけは譲れないのか?

怒りをぶつけてくる人には、ただそれだけを考えて対応しようと思う

 

はぁ、親子喧嘩

 

ずっと親に対してイライラしている時って、あった気がする…

 

若い時ってそんなものかもね~

 

そういえば、親子みたいな関係の人が怒りに任せてぶっちぎれて怒って来たんだけど、親子みたいな関係だからこそぶつけて来ちゃったんだろうか…

 

もっと冷静な人と尊敬していたので、なんか残念だったけど、私が言いたいことは全部言ってしまったので、案外後悔はなかったかも

 

やっぱり我慢ってストレス

 

小さなキャパでも、自分のキャパにあわせてストレスを溜めないようにしていけば良いのかも

 

相手の怒りに対応するのにも、結局自分を知ることが大切なのかもなんて思います

 

あー、難しい!

 

さらっと流せるほど大人では無いのである

 

#親子喧嘩 #怒る人 #怒ってくる #イライラしている人 #イライラ #ストレス耐性 #ママのせい #流せない #言い返す 

なんで被害者が守られないのか?

なんで、どんな事件でも加害者ばかりが守られるのか?

と報道をみて思う

 

ストーカー被害、なぜ被害者の名前が報道で出てしまうのか?

被害者が絶対に善なんて事はない

そのストーカー被害については被害者かもしれないが、人間たたけば誰でも埃は出る

プライバシーも隠しておきたい事だってあるはず

 

なのに名前も写真もバンバン出る

知らない誰かがあっという間に検索出来る世の中にさらされる

 

加害者は逮捕されるまで名前が伏せられる

「疑い」ではさらされない

 

亡くなった被害者だって過去に犯罪を犯しているかもしれない

小さな犯罪なら誰だってある

その疑いは放置されるのだろうか?

そんな事は無いって確信はあるのだろうか?

良いことだけしかさらされない保証ってあるんだろうか?

 

検索するのは自由だけど、暇な知りたい人だけ知ればいい

別に興味もない人達にまで、だだ流ししなくたっていいのに…

 

と思う

 

せめて、名前や写真は伏せるべきかと

生きている家族のためにも、この世間の当たり前をやめて欲しい…

 

#加害者 #守る #守られない #被害者 #ストーカー #プライバシー #名前 #なんで

離れていく人が敵に見える時

 

 

自分から離れていく人が敵に見える時ってどんな時だろう?

バトルして全否定して離れていく人はともかく、何も言わずに去っていくだけなのに、なんだか否定された気分になる時ってあります

 

それって、相手が否定した訳じゃなく、自分の自信の無さなんじゃないかと思うんです

 

自分は他人に比べて価値が無いから、この人は去っていくんだ!って思う

 

要するに自己肯定感が低い自分を自分で否定してしまう状態なんです

 

ただ、「合わないよね」って思える事が精神状態としては健全だと思うんです

「自分の悪かったところを改善するチャンス」と思えるなら、ものすごいポジティブだし、自己肯定感は高い状態

 

そんなポジティブに考えられない心は、もっともっとネガティブを引き寄せる

 

その去った人が楽しくしていれば、「自分と居ることが楽しくなかったんだ」って思ったりしちゃう

 

自分で自分を攻撃しているのに、それは相手が攻撃しているとすり替えて相手を敵視してしまう

 

その人の動向が気になるし、その人が他人と居ることを阻止したくなる

 

その人が楽しめる物で自分の力の及ぶところはみんな切り捨てたくなる

 

要するにパワハラだけどそれが敵で自分を攻撃してくる存在だと認識すれば、自分の中で正当化される

 

動向が気になってストーカーのようになっても、それが何をされるか分からない敵の動向を確認しているだけだとなると自分の中では正当化される

 

その人が自立したら自分無しで生きていけると思いしらされる

それは要するに自分が要らない存在だと分かる事だから、その人の自立を阻止してしまう

 

親子でも先生でも友達でも先輩後輩でも彼女彼氏でも結構よくあることなんじゃないかと思うんです

 

そりゃ、人が去っていくには理由があるんだろうけど、仲が良かった人なら去ると決めるまでのアプローチって0じゃない

 

本当は手前で気がつかなかったか気が付きたくなかった自分にフォーカスできない自分の心を何とかしてあげないといけないけど、プライドや傷つきたくない自分が邪魔をする

 

 

そんな人のそんな心をその敵認定された人が戻ってきて何とかしてあげられるわけじゃない

だから、一度離れると決めて敵認定されたならどんな意地悪をされたって戻る事に意味はない

行ったり来たりするとお互いに辛い時間を過ごし続けるだけなんだ

 

そう思って、離れることを躊躇している人や今離れたことで嫌がらせを受けている人は頑張ってほしいななんて思う

 

自分のことでいうと実際ちょっと甘い自分なんて誰でも持っているし、ずっと甘やかしているといつかダメな自分って見れなくなっちゃうのかもしれない

 

自分が劣化する前に少しずつアップデートできるような環境に自分をそっと置いておかないといけないなあと実感させられます

 

小さな痛みのうちにチクチクと言ってくれる人を周囲に置いておかないといけないです

ちょっと目障りだしだんだん遠のいていきたくはなるけど、やっぱりそういう人って大切なんだと…

 

自分を肯定できるように自分のやっていることがいいと言える行動をしていくことも大切なのかも

 

自分を肯定するのも否定するのも1番は自分だけど、それをそっと支えてくれているのは実は他の人の評価だったりするので、その支えにも感謝したいなと思う

 

離れる時に敵認定されちゃうのって逆に言えばその人との関係が密だったってことなんだ

そんな深い関係が築けたことに感謝してそっと自立していければいいのかも

 

敵認定されちゃう人はどこに行っても離れようとすると敵認定されちゃう

距離が近い自分を直すことって難しいから、密でいい時もあるけど離れる時に大変さもセットでついてくることを忘れずに生きていかないといけないのかも

 

頭の中を整理して相手の行動を理解してそっと許していけるようになりたい!

意地悪されてもまっいいか!とはならないけど、なんでそこまでやるの?って思ってると怖いからっちょっぴり整理してみました